夢枕獏『陰陽師 飛天ノ巻』文春文庫 1998年

「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになった。
(本書より)

 安倍晴明源博雅とが遭遇する平安の怪異を描いた連作短編集の第2巻です。

 小説を原作とする映画やマンガは,基本的には原作を読んでから,見たり,読んだりします。まずその作品のオリジナルの部分を知ってから,ひとつの「解釈」としての映画・マンガを味わうようにしています。
 しかし何事にも例外があるように,この作品については,岡野玲子作画の『陰陽師』の方を先行して読んでいます。ですから,本書を購入したものの,読むのが少々ためらわれていました。というのも,岡野作品のイメージが強すぎ,固定されてしまって,夢枕作品として充分楽しめないのではないか,といった危惧があったからです。
 ですが,それは杞憂でした。岡野作品のイメージはたしかに鮮烈ではありますが,絵の表現とはまたひと味違う,文章によって醸し出される雰囲気の魅力というものも,やはりあるようです。

 さて各編は,博雅が持ち込んだり,巻き込まれたりした怪異を,晴明が解く,という体裁になっています。いわば,晴明がホームズで,博雅がワトソンといった役回りです(などと読みながら思っていたら,「あとがき」で,作者もしっかりホームズ&ワトソンに言及していました(笑))。
 実際,ストーリィはミステリ的に進行します。たとえば「鬼小町」では,山寺にひとり住む僧侶の元に毎日訪れる老婆と,彼女が残していく草花の謎解きが語られますし,「露と答へて」では,百鬼夜行に遭遇した公達の隠された秘密が,『伊勢物語』をベースとして解き明かされます。そのほか「天邪鬼」では,道の途中に出現する異形の童子の謎が,「下衆法師」では,夜な夜な僧侶の元に現れる幽霊の謎が,「桃園の柱の穴より児の手の人を招くこと」では,タイトル通り,桃園邸に現れる怪異が,それぞれ冒頭において提示され,晴明がそれを解決していきます。

 たしかにそれは,現代の眼からすれば,不合理な怪異であります。しかし,晴明の謎解きは,平安の時代―「人々は,息をひそめて,この闇の中で,鬼やもののけたちと共存していたのである」―では,やはり「合理」なのでしょう。平安の人々とわたしたちが,その思考のバックボーンを共有してないがゆえに,わたしたちの目には「怪異」と映っても,平安の人々にとっては,あるいは晴明にとっては,それは「理」によって説明可能なものなのです。つまりホームズが,「近代的理性」のもとに事件を解決するように,晴明もまた,「平安的合理」「陰陽道的論理」のもとに「怪異」を解き明かすわけです。
 ですから,この作品は「怪異小説」「伝奇小説」でありつつも,その一方で「ミステリ」でもあるわけです。

 ところで,源博雅,この物語中では,「よき漢(おとこ)」とは言いつつ,いつも晴明になにかとからかわれていますが,「源博雅堀川橋にて妖しの女と出逢うこと」を読むと,なかなか凄い人物だったようですね。

98/04/30読了

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