ドロシー・ギルマン『おばちゃまは飛び入りスパイ』集英社文庫 1988年

 「わたしはこんなことに関してはアマチュアだけど,覚悟だけはプロなみよ」(本書より)

 ミセス・ポリファックス――夫に先立たれ,ふたりの子どもはすでに独立した初老の彼女は,平和で静かな毎日を送りながらも,どこか満たされないものを感じていた。「昔からやってみたいと思っていたことはありませんか?」 医師のセリフをきっかけに,彼女は子どもの頃に夢見たことを実行する。そう,スパイになるのだ!

 掲示板で話題になった作品です。本書,シリーズ第1作は「古本屋でしか手に入らないのでは?」という情報もありましたが,幸い,新刊書店で購入,こういったところ,田舎の本屋さんもけっこういいものです(笑)。

 物語は,スパイになろうとCIA本部に乗り込んだ主人公ミセス・ポリファックスが,ひょんなことからカーステアーズの目にとまり,メキシコに「観光旅行」に出るところから始まります。ごく簡単な任務と思われたにも関わらず,彼女は拉致され,さらに中国の影響力の強い某国に連行されてしまいます。ここらへんの展開はテンポがよく,さながらコメディ映画を見るような軽快感があります。とくに別人と間違えられて,ミセス・ポリファックスに「任務」が与えられるところは,「お約束」とはいえ,思わず笑っちゃいます。
 そして彼女は,一緒に拉致されたアメリカ側スパイファレルとともに,その某国から脱出をはかるのですが,そこで描かれる一連のエピソードも,どこか映画的なノリが感じられ,多少「ご都合主義」的な雰囲気もなきにしもあらず,ではありますが,スピード感があって,サクサクと読んでいけます。そして,そのスピード感,軽快感を支えているのが,主人公のキャラクタ造形であります。
 そう,本編の最大の魅力は,いまさらわたしが言うまでもなく,主人公ミセス・ポリファクスでしょう。まさに「ポジティブ・シンキング」の固まりのような彼女は,どんな危難に陥っても,ユーモア精神を失わず,その状況の変革,状況からの脱出を試みます。そんな彼女のキャラクタを,冒頭のワン・シーン―バッタもののレース編みカヴァを売りに来た女性を相手にするシーンで,くっきりと切り取ってみせるところは,この作者の筆力の一端を如実に示しているといえましょう。
 そしてなによりわたしが気に入ったのが,主人公が「魅力的な老女」として設定されていることです。たしかに「若さ」はそれだけで魅力となります。自由自在に動く肢体,柔軟な発想,ときに無謀ともいえる冒険心,圧倒的なまでのパワァ・・・それらは物語を引っぱっていく強力な牽引力となるものです。しかし,人間の魅力はそれだけではありません。年老いているからこそ持ちえる「経験」や「叡知」,「余裕」もまた,そういった「若さ」と同程度の,いやそれ以上に魅力的で,物語を動かしていく原動力となりえます。この作品は,そのことを明確に示しているように思います。
 しかし,いくらヴァイタリティに富んだ主人公とはいえ,アマチュアの老女が,プロフェッショナルのスパイを相手に,なんでもかんでも巧くいくとするには,さすがに作者もためらいがあったのでしょう。彼女の周囲に,ファレルや,謎の中国人など,彼女をサポートするキャラクタを配することで,紙一重で危機をすり抜けていくスリリングな彼女の冒険に,説得力を持たせているように思います。

 掲示板の書き込みを拝見すると,本シリーズは,老若男女の幅広い支持を受け,すでに10数冊が刊行されている人気シリーズとのこと。元気な「おばちゃま」の活躍は,日々の生活に消耗している心に一服の清涼剤のように受け止められているように思います。

00/08/06読了

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