浅田次郎『日輪の遺産』講談社文庫 1997年

 「欲がなくなったとき,こいつは宝さがしの物語じゃねえと気付いたんだ。つまりだな,これは国生みの神話だ」(本書より)

 不動産屋の丹羽明人は,競馬場で知り合った真柴老人から,死に際に一冊の手帳をあずかる。同様の手帳を海老沢澄夫も譲り受けており,それらには,敗戦直前,旧日本軍が時価200兆円もの財宝を秘かに隠したと書かれている。それは事実なのか? それとも老人の妄想なのか? 事情を知っているような金原老人は「忘れちまえ」というのだが・・・。

 いまでも,敗戦時の混乱期に隠匿されたという「なんとか資金」やら「かんとか資金」をネタにした詐欺事件は,あとを絶たないそうです。それだけ,この「ネタ」は,多くの人々の欲望と好奇心を刺激するものなのでしょう。この物語は,過去と現在が並行して描かれます。過去とは,敗戦をはさんだ財宝隠しの経緯,現在とは,その事実を真柴の手帳から知った丹羽海老沢の思惑や行動,そして,なにやらいわくありげな素振りを見せる金原老人の姿です。
 前半は3人による財宝さがし,あるいは丹羽・海老沢vs金原の財宝争奪戦,といった感じに展開するのかな,と思っていました。なにしろ,どうやらお宝は,現在××の敷地内とくれば,その掘り出しには,冒険小説ならではの一波乱,ふた波乱ありそうなところです。
 ところが,後半になると,ちょっと様子が違ってきます。冒頭に引用した丹羽のセリフが,それを象徴していると思うのですが,物語は,財宝そのものの獲得よりも,財宝をめぐるさまざまな人間模様,財宝隠しを実行した真柴小泉“曹長”たちの人生,そのために動員された35人の少女の運命,財宝と金原老人との関係,そして財宝奪回に執念を燃やすマッカーサーとその通訳イガラシ中尉,といった人々の姿を追っていきます。
 つまり本編が,「戦後日本」という新たな国が誕生するときに生まれた「神話」,財宝という磁場に翻弄される人々を描き出す1編のファンタジーであることが明らかになります。そこに描かれているのは,“財宝”そのものではなく,“財宝”をめぐる人間の生と死であり,それらの人々の“生きざま”に感銘を受け,みずからのものとして生きていこうとする丹羽や海老沢の姿なのだと思います。

 ともかく登場人物たちがいずれも個性的で惹きつけられますし,また物語の展開も,要所要所で盛り上がりや「引き」があり,ぐいぐいと読み進めていけます(とくに8月15日の曹長と少女の姿を描いた「間章」は,シーンそのものも好きですし,重要な伏線となっており,感心しました)。最後の最後まで「財宝はどうなったのか?」といった謎を残しておくあたりも,ストーリーつくりが巧いと思います。
 ただひとつ不満な点をいえば,後半で,丹羽,海老沢らの物語と,マッカーサーらの物語が,別個に進み,後者が前者の“裏話”のような感じになってしまったのが,ちょっと残念です。「登場人物たちが真相のすべてを把握していない」という終わり方も余韻があって,それなりに味わいはありますが。いずれにしろ,文庫版500ページを「長い」と感じさせない作品です。

97/08/08読了

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