スティーヴン・キングほか『スニーカー』ハヤカワ文庫 1990年

 懐かしの「モダン・ホラー・セレクション」の1冊。スティーヴン・キング,ダン・シモンズ,ジョージ・R・R・マーティンの3作家の中短編7編を収録しています。

スティーヴン・キング集
「リプロイド」
 人気テレビ番組の収録中,突然現れた男の正体は…
 日本で言えば,「笑っていいとも」「テレフォン・ショッキング」に,予定とは違う“ゲスト”が登場した,といったところでしょうか。もともと「固有名詞」にこだわる作家さんではありますが,やはり日本とアメリカとの違いはいかんともしがたいものがありますね。最後に明かされる「ネタ」も,「そうなんだろうな」とわかっても,いまひとつピンときません(「聖徳太子の1万円札」なのでしょうね)
「スニーカー」
 3階のトイレの一番手前のボックス,そのドアの下の隙間からは,いつもスニーカーが見えていた…
 その“スニーカー”を目撃してからの主人公ジョンの心持ちをリアルに感じられるのは,時代の「病」としての「強迫神経症」に,自分もまた冒されているからなのかも知れません。スーパーナチュラルと,そんな「強迫神経症」との輻輳は,まさにこの作者にとって自家薬籠中のものといえましょう。あるいはまた,「トイレの中の幽霊」という都市伝説的な素材を「スニーカー」という日常的なモノに着眼して「料理」しているのもこの作者らしいですね。
「献辞」
 息子が作家デビューしたのを機に,母親は彼の“秘密”を友人に語り始める…
 少々(?)気色悪いシーンはあるとはいえ,物語の構造そのものはオーソドクスな怪奇小説−語り手の妄想なのか,スーパーナチュラルな怪異があったのか,という境目でストーリィを展開させながら,最後にオチをつける−といった感じの作品です。

ダン・シモンズ集
「転移」
 交通事故で九死に一生を得た男は,以来,鏡の中に奇妙なモノを見るようになり…
 楳図かずお『猫目小僧』に,ガン細胞がモンスタとなるというエピソードがあったのを思い出しました。日本でも,死亡原因の第1位になって久しいガンは,もっとも現実的・日常的な恐れの対象として,いまや定着していると言えましょう。その恐れを「癌ヴァンパイヤ」という,なんとも気色悪いモンスタに形象化させた1編です。ラストは,ちょっと即物的な感じで,いまひとつ,といったところですが。
「ヴァンニ・フッチは今日も元気で地獄にいる」
 朝の伝道番組に,突如現れた男の正体は…
 パロディや皮肉というのは,その対象を知っていないと,十分な理解が得られないのでしょう。アメリカで定着しているという「テレビ伝道」の痛烈なカリカチュアなのでしょうが,正直,実感が湧きません。爬虫類に変身させられた「泥棒」の職種−弁護士・政治家・聖職者・広告業界の重役などなど−には笑っちゃいましたが。
「イヴァソンの穴」
 南北戦争の記念式典の日,少年の“私”が体験したこととは…
 怪異の素材を探し出したいならば,もしかすると,歴史の本をめくってみるのが,一番手っ取り早いのかもしれません。なぜなら,わたしたちの歴史というのは,本編で出てくるような超自然的な現象が起きてもけっしておかしくない,悲惨で酷い血塗られたものだからです。因果譚をベースとしながらも,やや狂気じみた退役軍人を主人公にすえたことと,「現在」の設定にひとひねり加えることで,異様な緊迫感に満ちた作品に仕上げています。

ジョージ・R・R・マーティン集
「皮剥ぎ人」
 友人から,猟奇殺人の被害者となった女性の調査を依頼された私立探偵は…
 女性を狙った連続猟奇殺人,かつて警官であった父親をむごたらしく失った女性私立探偵ランディ,軽薄でいながら,何か隠し事をしている友人で依頼人のウィリー,そして調査の過程でしだいに明らかにされる事件の真相…と,フォーマットは,アメリカの私立探偵小説のそれを踏襲していると言えましょう(ランディのタフさや,過去に対するこだわりなども,まさに典型的なパターンですね)。それゆえに,スーパーナチュラルな存在が事件に絡んできながらも,リアルなストーリィ展開こそが,むしろ本編の魅力となっているでしょう。ですから逆に,ラストで事件の「真犯人」が明らかにされるところは,やや唐突な観が否めません。作中で「既定」となったスーパーナチュラルだけで収束させた方が,よりまとまった「世界」が描けたのではないかと思います。

04/11/29読了

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