若竹七海『海神(ネプチューン)の晩餐』講談社文庫 2000年

 1932年,本山高一郎は,豪華貨客船“氷川丸”に乗ってアメリカへと旅だった。ところが,乗船直前に友人から買い取った原稿の一部が,何者かに盗まれてしまう。その原稿とは,20年前に沈んだタイタニック号の遺品であるという。さらに本山の客室で発見された死体が,密室状況から消失してしまう。閉ざされた状況で続発する怪事件を解決しようと本山は乗り出すが・・・

 読んでいて,途中までは,趣味的というか,遊び心にあふれた作品だなぁ,という印象が強かったです。
 洋上に浮かぶ豪華客船という「クローズド・サークル」での怪事件,囁かれる金髪美人の幽霊話,タイタニック号の遺品とされる謎の原稿と,それに記された暗号文などなど,舞台やアイテムは,「いかにも」という感じです。また張大人なる不思議な中国人の登場は,ミステリ好きならば「ニヤリ」とさせられますし,謎の原稿も,実在のとある著名なミステリ作家の「遺稿」とくれば,もうたまりません(笑)。おまけに,その原稿の一部―解決部分―が盗まれ,残った原稿から,その作中で描かれる密室殺人事件を,作中人物たちが推理するというところも,ミステリ的遊び心と言えましょう(じつはその推理合戦を「それだけ」で終わらせないところも心憎いです)。
 さらに,ところどころで挿入される「ミチオ・スガワラの日記」は,腕白小僧の活躍を描いていて楽しいのですが,それとともに,「わざわざこんな体裁にする以上,どこかに重要な伏線が引かれているはず」と匂わせ,ミステリ読みの心をくすぐります。本作品は,そんなミステリ的趣向に横溢した作品としての「顔」を持っています。

 しかし,後半,数々の怪事件の「解決編」にいたると,そんな「居心地のよいミステリ世界」は崩壊していきます。もちろん,メタになるわけではなく,この作者お得意の,綿密巧妙に引かれた伏線から怪事件の真相が明らかにされるという本格ミステリとしての結末を迎えます。けれどもそれは,「船旅」という非日常的な場で起きた「ゲーム」としての怪事件としてではなく,歴史という大きなうねりの中で生じた,悲しい事件として幕を引きます(そしてそれに至る道筋もまた,「楽しい船旅」の描写の合間合間に,伏線が巧みに埋め込まれており,感服してしまいます)。その結末は,「居心地のいいミステリ世界」である「船」が,中国から日本を経て,アメリカへ向かう「氷川丸」という「現実」であることを明らかにしているともいえるかもしれません。
 「エピローグ」において「氷川丸」はふたたび登場人物たちの前に姿を現します。しかしその「氷川丸」は,かつて彼らが経験した非日常としての「船」ではありません。いやおうもなく,友との仲を引き裂き,彼らを無情の歴史の渦へと飲み込んでいく「船」として登場します。
 この作品で描かれた怪事件の結末とは,この「エピローグ」への「プロローグ」だったのではないでしょうか?

00/02/06読了

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