中野美代子『眠る石 綺譚十五夜』ハルキ文庫 1997年

 中国文学者・中野美代子の『孫悟空の誕生』は,『西遊記』に出てくる「孫悟空」のイメージが歴史的にどのように形成されてきたかを,さまざまな資料を駆使し,資料と資料との間のミッシングリンクを縦横無尽な想像力で追った作品で,さながらミステリを読んでいるような楽しさがありました。そんな彼女が小説をいくつか書いていることは知っていたのですが,今回初見です。各地の遺跡や絵画を想像の手がかりとした掌編15編がおさめられています。

 巨大な建築物というのは,それ自体,なにか魔的な力を秘めているのかもしれません。産業革命以前,それらの建築物を構築するためには,莫大な時間と労働力が投入されたでしょう。またそんな時間と労働力を集合させ,編成させる権力もまた巨大であったろうし,その権力の背後には,ときには尽きぬ欲望が,ときには狂信的な宗教心が蠢いていたのでしょう。そしてその影で,動員された人々の怨嗟の,苦渋の声が押し殺されているのかもしれません。巨大な建築物には,つくった人間たちの情念が渦巻いているのでしょう。だからそこに魔的なものがするりと滑り込んでも,決して不思議ではないのかもしれません。たとえば「ロロ・ジョングラン寺院」には,魔神が一夜でつくったという伝説が伝わり,「ビビ・ハナム廟」は,処刑された女の情念で崩壊します。また「カリヤーンの塔」は,処刑の塔として設計者さえも血祭りに上げ,「アンコール・ワット第一回廊」は,暗殺者の手にかかった王の血を吸います。そして,それらはときとして時間さえも超えます,いや時間を無化します。天竺からの帰途,玄奘は「楼蘭東北仏塔」で自分自身の木乃伊に出会い,「ベゼクリク千仏洞」では,仏教徒とマニ教徒が終わることのない闘争を繰り広げ,カンボジアの「プリヤ・カン寺院」はプノンペン政府軍の兵士を爆死させます。

 一方,「巨大さ」だけではなく,「微少さ」もまた魔を呼び込むのかもしれません。「スクロヴェーニ礼拝堂」の壁面に描かれたキリストとユダの像には,ヨーロッパを震撼させた異教徒・韃靼人の文字が書き込まれ,「ウェストミンスター・アベイ」「シャトー・ド・ポリシー」のふたりの肖像画には,死へ向かう道と髑髏が,さりげなく,騙し絵のごとく描き込まれます。「神が細部に宿る」のと同様,「魔もまた細部に宿る」のでしょう。

 本作品集は,ある特定の場所にこだわりつつも,過去と現在,巨大と微少,アジアとヨーロッパ,夢と現実がモザイク状,入れ子状に織り合わすことで,いつでもない時,どこでもない場所,誰でもない人の物語,「ザナドゥー夢幻閣」を描き出しているのかもしれません。

97/09/18読了

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