スティーヴン・キング『ニードフル・シングス』上下巻 文春文庫 1998年

 微睡むような田舎町に一軒の骨董屋がオープンしたのが,すべてのはじまりだった。店の名前は“ニードフル・シングス”。そこを訪れる客は,心の底から欲するものを破格の値段で手に入れることができた。ただ店の主人と“取引”を取り交わすことが条件だったが・・・。最初はほんのささやかなものに過ぎなかった“取引”は,しだいに街を破局へと導いていく・・・。

 誰でも多かれ少なかれトラブルを抱え,人知れぬ不満や不平,秘められた欲望を隠し持っています。それは他人から見れば「なんだ,そんなもの」と呼ばれるようなものから,身の破滅を招くような類のものまで,さまざまです。それゆえ,そんな人間たちで構成された集団は,宿命的に不和や反目,軋轢を内包することになるのでしょう。それは平凡で退屈な田舎の町キャッスル・ロック―かつて『クージョ』『ダーク・ハーフ』『デッド・ゾーン』の舞台にもなりました―においても,同様です。
 だからといって,人間集団がつねに分裂し,崩壊し,破局を迎えるというわけでは,もちろんありません。道徳や倫理,ルールによって,あるいは単に「争いが面倒くさい」という理由から,それらは回避され,集団は維持され,存続します。
 しかし,集団がそんな微妙なバランスの上に成り立っていることもまた事実で,欲望が刺激され,不和が増大し,争いが激化することもまた,十二分にありえます。もしそれを意図的に,それも悪意を持って行おうとする者がいたとしたら,それは「悪魔」と呼ばれるのかもしれません。

 この作品は,「悪魔との取引」という古典的,いや神話的とさえ言えるようなモチーフを現代社会に投げ込んだ物語です。古いモチーフを現代に蘇らせるというのは,これまでのキング作品にしばしば見られる,彼の常套手法といえるでしょう。しかし現代の悪魔=リーランド・ゴートン氏は,世間に背を向けた孤独な学究の前に現れるのではなく,「店」を開き,不特定多数の人々を相手にします。店に来る客たちの欲望を満たす代わりに,「ささやかな」取引を持ちかけます。それはスーパー・マーケットやデパートが,人々の欲望を刺激し,増大させ,あくなき消費へと走らせることとどこか似ていて,そういった意味で,リーランド・ゴーランドという悪魔は,すぐれて現代的と言えるかもしれません。
 また本来,悪魔に対抗する最大の「力」となるはずの宗教が,排他主義的な感情的対立―「カジノ・ナイト」をめぐるカソリックとバプティストとの対立―に終始し,まったく役に立たないどころか,ゴーラントに利用されてしまうというところも,現代的なところでしょう。

 入念に人々の欲望と不安を描き込んでいくストーリィ展開は,まさにキングの十八番,独壇場という感じです。今回はとくに,ひとつの町を壊滅させるという大がかりなものだけに,その描き方はひときわ綿密ですし,また後半,ゴーラントとの「取引」が引き金となって起こるカタストロフも,壮大で迫力あるものになっています。複数の人物たちの行動や視点を並行して描き,徐々に破局点へと導く展開の仕方も緊迫感があり,この作者の作品でときおり(しばしば?)感じられる冗長さが,(非常に長い物語であるにもかかわらず)ほとんど感じられませんでした。
 そんな点では楽しめた作品でしたが,ただ残念ながらラストがいまひとついただけませんでした。たしかに悪魔に対抗するためには,ほかに方法がなかったのかもしれませんが,どうしても「図式的」という印象が拭いきれません。たとえ「図式的」であったとしても,そのような結末にいたる理由づけなり,伏線なりがほしかったところです。

98/11/11読了

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