乙一『夏と花火と私の死体』集英社文庫 2000年

 表題作は,1996年の「第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞」受賞作です。受賞時,作者は弱冠16歳とのこと。早熟型な作家さんなのかもしれません。

「夏と花火と私の死体」
 ある夏,“わたし”は木から落ちて死んだ。弥生ちゃんに背中を押されて…健くんと弥生ちゃんは“わたし”の死体をどうにか始末しようとするが…
 物語をどの視点で描くか−一人称とするか,三人称とするか,ときに二人称で描くか−,これは物語の雰囲気を決定する上で重要なポイントになるでしょう。逆に,視点を不鮮明にすることで,読者に不安定感を与える効果を意識的に用いた作品も,ミステリやホラー,幻想小説ではしばしば見られる手法と言えます。本編の語り手“わたし”は,冒頭,死体となりますが,ひきつづき彼女の視点で物語は進んでいきます。それは「幽霊」と呼んでもいいかもしれませんが,その一方で,ひとつに固定していない描写部分もあり,一人称ともやや違った印象を醸し出しています。そのあたりをユニークと呼ぶか,バランスの悪さと感じるかは,読者の嗜好によってかなり変わるかもしれません。
 さてストーリィは,健くんと,その妹弥生ちゃんが,“わたし”の死体を隠そうとする姿を追いかけます。そして死体が何度も発見されそうになるのを,策略で回避していくサスペンスがストーリィを引っぱっていきます。その回避の仕方は,たしかにサスペンスの常套ではありますが,映画やマンガといった映像的な手法に近いものが感じられます。ページ数のわりに,ちと詰め込みすぎといった感もあることはありますが(そこらへんも時間的により限定された映画との共通性を連想させるのかもしれません)。そしてラストの幕の引き方は巧いですね。前半で描かれていた事柄−事件と異なる方向で結びつくのではないかと展開させていた事柄を,メインの事件とツイストして結びつけ,きれいに着地しています。ラスト直前のミス・リードも効果的です。

「優子」
 清音が女中として勤め始めた鳥越家には,小説家である主人と妻の優子が住んでいた。しかし清音は姿を見せない優子に不審を感じ…
 姿を見せない女と人形−手垢のついたネタかなぁ…などと思いながら読み進めていましたが,途中でその「ネタ」は割れてしまい,「さて?」と思っていたら,さらにもうひとひねり。二転三転した末に,冒頭に掲げられた意味ありげなシーンと結びついて,意外なエンディングに雪崩れ込むところは小気味よいですね。設定そのものが古い時代ではありますが,トリックなどにも古き「探偵小説」の手触りが色濃い作品ですね。
 ユニークな視点設定で幻想性と「奇妙な手触り」を生み出す表題作と,コンパクトにまとまりながらもツイストの効いた本編と,読者の好みで評価が分かれるかもしれませんね。

00/07/03読了

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