半村良『産霊山(むすびのやま)秘録』集英社文庫 2005年

 「権爺,なぜ死んだ。犬走りの六,なぜ死ぬのじゃ。死ぬ前に神に会おう。芯の山にワタろう。行っていくさをすぐにとめてもらうのじゃ」(本書より 飛稚のセリフ)

 “ヒの一族”……かつて天皇の上におり,「神の裔」ともされる特殊能力を持った一族は,長いこと俗世とは関わらぬ生活を送っていた。しかし,うち続く戦乱の世を静めるため,織田信長を影から支援したことから,彼らの運命は大きく変わりはじめる。歴史の巨大な奔流に,ときに流され,ときに抗しながら,彼らが見たものとは…

 ハヤカワ文庫,角川文庫,ハルキ文庫,そして今回,集英社文庫からの刊行です。さながら「不死鳥」の如く繰り返しよみがえる本書は,この作者の代表作であるとともに,日本SF史にその足跡を残す傑作であり,なによりわたしにとっては,歴史伝奇SFの醍醐味を,はじめて味わわせてくれた思い出深い作品です。

 「歴史伝奇SFの醍醐味」…それは,「歴史的事実を変えずに,なおかつ「別の歴史」を描き出す想像力」とも言えましょう。戦国時代末から江戸時代,そして戦中・戦後(=現代)という400年にわたる歴史を舞台にした本編では,歴史的事実を変更しません。天下統一を目前にして,織田信長は,明智光秀によって殺されますし,圧倒的な不利な状況である関ヶ原の戦いにおいて,徳川家康は勝利し,200年以上におよぶ江戸幕府の基礎を築きます。しかしその幕府も倒れ,近代を迎えた日本は,侵略戦争の果てに敗北・瓦解します。さらに,なぜ光秀は信長を討ったのか? なぜ家康は関ヶ原で勝利したのか? なぜ坂本竜馬は「竜馬」と名づけられたのか? なぜアポロ11号はわずかな「月の石」しか持ち帰らなかったのか?……
 日本の歴史の大きなうねり,またそこに浮かぶ大小さまざまな謎を,作者は「ヒの一族」というSF的着想を挿入することで解き明かし,まったく「別の歴史」を描き出していきます。「史実」という「絵の具」を用いながらも,「SF」という「筆」で,まったく別の「絵」に仕上げているのです。
 とくに,歴史的事実としてのすぐれた「織田信長像」を作り上げ,「ヒの一族」としての明智光秀の苦悩と決断を描くことで,本能寺の変を鮮やかに物語=「別の歴史」に位置づけた「真説・本能寺」に,この作者の「本領」が発揮されているのではないかと思います(このことは,『戦国自衛隊』において,自衛隊が戦国時代にタイムスリップするという破天荒な設定ながら,ラストで見事に「歴史」に回収させる手腕に通じます)。
 それは,歴史に安易な「イフ」を持ち込み(信長は本能寺の変で死ななかった,徳川幕府はつぶれなかった,日本は太平洋戦争で負けなかった……などなど),一見自由奔放に,逆に言えばご都合主義的に「架空の歴史」を作り出す「SF」などとは似て非なるものです。「史実」と「想像力」とのせめぎ合い・緊張関係こそが,歴史伝奇SFの妖しい輝きを生みだすのであり,この作品はそれを体現していると言えましょう。

 また今回,改めて読みかえしてみて思ったのは,本編の魅力は,作者の(とくに「庶民」に対する)暖かなまなざしと冷酷なまでの状況認識とのバランスにあるのではないかということです。
 メインキャラクタのひとりである“ヒ”飛稚(とびわか)は,信長の比叡山焼き討ちの最中に,親代わりの権爺と,仲間の犬走りの六を殺され,さらに「空ワタリ」の結果,大空襲まっただ中の昭和20年の東京へとテレポートしてしまいます。つねに「いくさ」によって親しいものを殺され,あるいはまた,酷薄な政治力学に翻弄される飛稚の姿は,ヒであるがゆえに,であるとともに,あらゆる時代の庶民の姿と重なり合います。人々の願いが実現する「芯の山」への彼の希求は,同時に名もなき庶民たちの願いでもあるのです(おそらく1933年生まれの作者自身の戦中・戦後体験が反映されているのでしょう)。
 一方,作者は,オシラサマと呼ばれる,髪も目も鼻もなく,陽光の下では生きられないヒの女を登場させます。そして飛稚ら「ヒの男」たちの特殊能力とは,彼女たちの犠牲の上に成り立っていることを暗示させます。さらに,彼らの「願い」とは,つまるところ「欲望」であり,欲望は新たな欲望を産み,他者の犠牲を呼び込むことを,オシラサマの口から語らせます。純朴に見える「庶民の願い」もまた,その裏側に「闇」を抱え込んでいるという,作者の冷徹な視点が感じられます(このモチーフは『妖星伝』においてメインにすえられます)。
 つまり「歴史伝奇SF」を縦軸とするならば,この,やさしくもあり冷ややかでもある人間観を横軸とすることで,本編は,より深みのある作品となっているのではないかと思います。

 この復刊を機に,この作品がもっと幅広い世代に読まれることを願ってやみません。

05/11/26読了

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