船戸与一『蝕みの果実』講談社文庫 1999年

 7編をおさめた短編集です。
 作者は「まえがき」で,
「ここに集められた短編にはふたつの共通項がある。まず舞台がアメリカ合衆国。次に,主要登場人物が何らかのスポーツに関係している」
と書いています。しかし,いわゆる「スポーツ小説」ではありません。総タイトルに「蝕み」という言葉がついているように,スポーツをめぐる「暗部」を描いた作品群とも言えます。「スポーツ」という,華やかで合法的,洗練された「闘争」の世界を通じて,作者は,やはり他の作品と同様,現代世界の「闇」を見つめ続けているのかもしれません。

 日本ではなぜか,あらゆるスポーツが(あるいは,あらゆる技術が)「道」になってしまいます。「柔道」しかり,「剣道」しかり,外来のスポーツである野球にさえ,精神的なものを求めようとします。その最たる例が,ダイエー・ホークスの王貞治監督で,現役時代,彼は求道者的なイメージが付与されています。
 しかし,「プロ・スポーツ」の場合,それはまずなにより「ビジネス」です。選手たちが,みずからの肉体と技量を維持し,向上させようとすることは,自分自身を「商品」とし,より高く売ろうとする行為に他なりません(もちろんこのことは,彼らを貶めるものではありません。むしろ,ビジネスに徹して,シビアな競争を生き残ったものこそが,「スーパー・スター」と呼ばれるのでしょう)。それゆえ,そこには他のビジネスと同じように,駆け引きがあり,売り込みがあり,ときとして卑劣な手法に訴えることもあるでしょう。
 たとえば「セレクション・ブルウ Baseball」は,メジャー・リーグへの切符を手に入れかけた“おれ”がトラブルに巻き込まれるという話です。主人公のスポーツ・マンとしての矜持,成功への渇望を描きながら,それを打ち砕くようなあまりに皮肉なエンディングは,プロ・スポーツ界における「成功」の危うさを浮かび上がらせています。また「ミセス・ジョーンズの死 Athletics」に出てくる優秀なアスリート高校生は,まさに「金のなる木」としてとらえられています。優秀な選手に,妻の肉体を与え,裏取引のある大学に送り込もうとするコーチの姿と,「金のなる木」としてはい上がろうとする高校生を襲う,現代アメリカに蔓延する「病魔」を描いたラストは,「ダーク・ビジネス」と化した「スポーツ」が抱え込む逃れようのない虚無感に満ちています。

 しかし,スポーツがビジネスとしての顔を持つ一方,ビジネスだけでは括りきれないものをも持っていることもまた,事実なのでしょう。とくにそれは格闘技系という,「眼前の敵」を倒すスポーツにおいて,より顕著なのかもしれません。
 「からっ風の街 Wrestling」の舞台はプロレスです。日米の貿易摩擦で反日感情が激化するシカゴで,試合をすることになった新米プロレスラの短い人生を描いています。ビジネスを超えた「憎悪」を燃やした結果,死んでいく主人公の姿は,良かれ悪しかれ,プロレスが「ビジネスとしての格闘技」であることを,逆に照射しています。さらに,格闘技の持つ攻撃性は,主人公をダーク・サイドに導くときもあります。「コリア・タウン Taekwondo」では,テコンドーを学ぶ,在日韓国人三世の主人公が,コリア・タウンの大物によって,強引に「裏の世界」へと引き込まれていきます。主人公は,彼に反発を感じながらも,どこか彼を受け入れている自分に気づきます。「力への憧れ」は格闘技を学ぶ者にとって,根強いものがあるのでしょう。また「斑の蝶 Boxing」でのボクシングは,スポーツですらありません。主人公が探す,契約を破ったボクサは,より強いボクサを育てるための「咬ませ犬」でしかなく,逆に,そのボクサにとっても,ボクシングは暗黒街でのし上がるための手段に過ぎません。
 そして「梟の流れ Rifle shooting」で,主人公のライフルの先にあるものは人間です。冷戦時代,破壊工作員として生きてきた主人公たちの,冷戦終結後の哀れな末路を描いています。彼らは,「夜」の世界は自由に飛べても,「昼」の世界では生きられない梟なのでしょう。また,ベトナム帰還兵たちの隠遁生活を重ね合わせることで,国家により利用され,捨て去られた人々の姿を浮き彫りにしています。

 そんな苦いテイストの作品が多い中で,唯一,救いがあるのが,「黄金の眼 Mountain climb」です。世界の五大峰を征したにも関わらず,ロッキー山脈で山岳レンジャーをする主人公が山中へ入った登山者を単独で探しに行くというストーリィ。登山者はなぜ雪深い山に入ったのか? ふたりで入山したはずなのに,目撃されたのがひとりきりなのはなぜか? と,ミステリアスに展開するとともに,彼に従う老犬の姿と,主人公の暗い過去がオーヴァラップするハードボイルドの佳品となっています。本作品中で取り上げられたスポーツの中で,ただひとつ,「他人と競わない」スポーツである「登山」だけが,後味のいいエンディングを迎えるのは,じつに皮肉なことと言えましょう。

99/12/12読了

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