坂東眞砂子『桃色浄土』新潮文庫 1997年

 頃は大正,土佐の小さな漁村・櫻が浦。健士郎が高知から帰省した日,一艘の異人船が沖合にその姿を現した。それがすべての始まりだった・・・。珊瑚をめぐる欲望が浦を包み,15年前の異人船をめぐる血腥い記憶が蘇る。ひとたび流れ出した愛憎と欲望の奔流は,健士郎を,りんを,さながら黒潮のごとく飲み込んでいく・・・。

 民俗学者によれば,日本の村落には“異人殺し”という伝承があるそうです。旅の僧侶を泊めた家の者が,その僧侶が大金を持っていることを知るや,僧侶を殺し,金品を奪います。その家はしばらく栄えますが,僧侶の祟りのために滅亡してしまうというお話。この物語でも“異人”がもたらした珊瑚をめぐって,村の若者らの欲望が渦巻き,殺戮,強奪へと暴走していきます。
 また海浜部の村には“寄りもの”信仰というのがあるそうです。海から浜に流れ着いたものは福と富をもたらすという伝承です。それは海という,あるいは海の向こうにあるという“異界”からもたらされたものだからでしょう。この作品のオープニングは,嵐の翌日,浜に流れ着いた“寄りもの”を集める浦の人々の光景です。その“寄りもの”信仰は,仏教で言うところの,海の向こうにあるという楽土“補陀落”信仰とも結びつくようです。この物語の登場人物のひとり乞食坊主の映俊は,櫻が浦こそ補陀落へと旅立てる場所と信じて,住み着いており,主人公のひとり,浦の娘りんもまた補陀落を夢見ます。
 この作品には,そんな日本の村落が長いこと伝えてきた伝承や信仰を背景,いや中心となる背骨とした,この作者お得意の土俗色豊かな作品です。

 しかし,いわゆる“土俗ホラー”ではありません。たしかに亡霊や幽霊が出てきますが,それはあくまで生きている人間の認識や解釈の域に留まり,前面には出てきません。むしろ浦で繰り広げられる人間関係や愛憎を中心に描き,スーパーナチュラルな存在を後景に置くことで,より凄みのある物語を作りだしているように思えます。主人公健士郎の友人多久馬の,珊瑚を獲得するために殺人をもいとわない執念,りんをめぐる健士郎と“異人”エンゾとの愛憎,さらに健士郎と父親との確執などなどが,閉鎖的で因習的なムラ社会の人間関係の中で,グロテスクなまでに描き出されていきます。
 そしてそれらの抗争劇,愛憎劇が交錯し,重なり合い,頂点に達するとき,物語はカタストロフへと向けて雪崩れ込んでいきます。前半部でねっとりまったりと描き出された人間関係の軋みが,一気に噴出する後半部は,鬼気迫るものがあります。とくに健士郎が,×××の×××を××するシーンは息詰まります。さらに,海が,いや自然が“異界”としての牙をむき出し,物語はクライマックスを迎えます。まるで人間同士の争いや確執を,嘲笑うがごとく,自然は人間たちを飲み込んでいきます。読み終わったとき,思わずひとつ溜め息の出るような,そんなエンディングでした。

 それとこの物語のおもしろさのひとつは,ヒロインりんの魅力的な人物造形にあるのではないかと思います。女が海に潜ることを忌む櫻が浦で,ひとり海女を続ける彼女は,もともと“異人”的な性格を持っています。そんな彼女が,本物の(というのも変ですが)異人エンゾと出会い,恋に落ちるのも,自然な流れなのかもしれません。そういった意味で,この物語は,りんとエンゾとの愛の物語でもあると思います。そしてエンゾの言う南太平洋の楽園と,彼女の“補陀落”への憧れが出会い,溶け合い,彼女が月明かりのもと伝馬船で“補陀落”へと漕ぎ出すシーンは,浦で繰り広げられる醜い争いとは対照的な,美しく,哀しいシーンです。“補陀落”への道というのは,彼女のように,すべてを捨て去り,一心に求める者のみに開けるのかもしれません。

 板東眞砂子の作品は,いままで何作か読みましたが,その中でも今のところ一番楽しめた作品でした。

97/12/29読了

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