桐野夏生『水の眠り 灰の夢』文春文庫 1998年

「俺は自分に芯があるなんて思ったことは一度もない。むしろ何も持っていない人間だと思っている。そして何も要らない」(本書より:村野善三のセリフ)

 1963年,高度経済成長と東京オリンピックの準備で変わりつつある東京で,「草加次郎」を名乗る人物による連続爆破事件が発生。“トップ屋”村野善三は,みずからも爆破事件に遭遇,取材を開始する。しかし,偶然知り合った女子高生の殺害事件の容疑者とされ・・・

 江戸川乱歩賞受賞作『顔に降りかかる雨』などで活躍する私立探偵・村野ミロの「父親」,村善こと村野善三の物語です。
 ストーリィは,「草加次郎」による連続爆破事件と,女子高生殺害事件という,ふたつの流れから構成されます。主人公は,両方の事件を追うのですが,その過程で彼をめぐる状況が次第に変化していきます。それは時代そのものの変化とも言えるのかもしれません。敗戦から20年近くが経ち,「もはや戦後ではない」という言葉に代表されるように,新たな経済成長を迎える一方で,時代のあまりに慌ただしい変化の中でとまどい,傷ついた人々の不安と不満が澱のように沈殿している・・・そんな時代です。
 主人公はその時代の狭間を駆け抜けます。それは自分自身のスタンスを問い直すプロセスでもあります。大学卒業後,就職がないままにアルバイトで入った週刊誌業界で遮二無二に生きてきた主人公が,自分のやりたいこと,好きなこととして「仕事」を選ぶ過程でもあるように思います。
 しかしそれは,けっして安直なものではありません。彼が関わる事件,とくに女子高生殺害事件の真相は,人間が抱え込む闇,「家族」の中に潜む魔を抉り出すものといえます。そこには,それらによって虐げられ,押し潰される少女たちの姿があります。力ある者は無き者を支配し,力無き者同士でもわずかな力の差で支配し支配される――そんな冷酷でおぞましい世界の“真実”があります。
 また事件の展開の中で明らかになっていく友人たちの変貌,そして死。それらもまた主人公にとって,大きな転機を促すものとなったのでしょう。
 主人公が,そんな「世界」,あるいは「世界」の変化に対峙する自分のスタンス―媚びず,へつらわず,逃げず―を再確認していく物語なのかもしれません。

 ストーリィ展開は少々散漫な印象がないわけではありませんが,扱われているモチーフは,まさにハードボイルドの世界という感じですし,主人公のジャーナリストとしての反骨精神も,読んでいて心地よいものがありました。
 ただところどころ,1963年にはなかったんじゃないか,という言葉が出てきたりして(たとえば「ヴァラエティ番組」とか・・・),そこらへんがいまひとつ引っかかってしまったのが残念です(う〜む,「お達者倶楽部」と言われそうだ(笑))。

98/12/04読了

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