H・S・サンテッスン編『密室殺人傑作選』ハヤカワ文庫 2003年

 「しばらくの間,彼はそばに立っている女のことは忘れて,何の疑いもないと見える事件がをひっくり返すただ一つの言葉の持つ美しさに浸っていた」(本書「たばこの煙の充満する部屋」より)

 狭義,広義の密室殺人を扱った短編14編を収録したアンソロジィです。初出のもっとも古い作品が1918年,最新が1965年と,まさに古典的な作品を集めています。ですからミステリを読み始めた方にとっては,まさに絶好の「入門書」的な性格を持っていると言えましょう。またミステリを読み慣れた方にとっては,「あ,このトリック,知っている!」などという野暮なことは言わず,むしろ,そのトリックが,どのようにストーリィに埋め込まれているか,どのようなシチュエーションで演出されているかを味わうのが,楽しむコツだと思います。
 そういった意味で感心したのが,アブナー伯父シリーズの1作,メルヴィル・デヴィッスン・ポースト「ドゥームドーフの謎」です。鍵のかかった室内で,男が射殺されるという本作品のトリックは,子ども向けの推理クイズ−「名探偵に挑戦!」とかいった感じの−にも採用されている古典中の古典です。作中に,ふたりの容疑者−ひとりは被害者の死を神に祈念した狂信的な牧師と,被害者の蝋人形で死を呪った内妻−を設定することで,密室内の死の不可解性を高めるとともに,その,いわば「天罰」的なトリックと上手に響き合わせています。ミステリが,なによりも「小説」であることを示した佳品です。
 またクレイトン・ロースン「世に不可能事なし」は,名探偵マジシャングレイト・マリーニシリーズの1作。UFOネタと絡めた内容で,犯人の目論見は,一見,とんでもないように見えて,その実,しっかりと現実的なしたたかなものであったことが判明するラストがおもしろかったですね。まぁ,「宇宙人の足跡」は,ちと失笑ものですが(^^ゞ
 エラリイ・クイーン「クリスマスと人形」は,タイトル通り,欧米では「定番」となっている「クリスマス・ミステリ」の作品。怪盗ルパン怪人二十面相といった「ノリ」の怪盗コーマスを登場させ,クイーン親子との知能合戦を描いた楽しい作品になっています。この作者独特の(ときとして鼻につく^^;;)ペダントリックが,ユーモアを醸し出しています。
 ところで,古典的とはいえ,刊行は1968年,「黄金時代」からはずいぶん経過していますので,やはりオーソドクスさだけではありません。エドワード・D・ホック「長い墜落」は,高層ビルから墜落したはずの男が,途中で消えてしまうという「空の密室」を描いていますし,またジョゼフ・カミングス「海児魂」は,潜水中の男が引き上げられたら刺殺されていたという「海の密室」です。どちらもトリックとしては手堅いものですが,「空」と「海」という,「閉ざされた」というイメージからはほど遠いシチュエーションでの「密室殺人」という着眼点のユニークさが光っています。
 また密室殺人を扱いながら,むしろそれを起点として,さまざまな人間ドラマを描くのも,現代的と言えるかも知れません。たとえばアンソニイ・バウチャー「たばこの煙の充満する部屋」では,密室殺人の真相解明を通じて,政治の世界に生きるひとりの女性の哀しみとたくましさ・しぶとさを浮き彫りにしています。またトマス・フラナガン「北イタリア物語」は,ルネサンス期のイタリアを舞台にした異色作で,密室状況からの宝石の紛失をメインの謎にすえながらも,錯綜する政治状況の中で,きわどいトリックを用いながらも,したたかにおのれの利益を獲得していく政治的怜悧さを描き出しています。
 そのほか,ウィリアム・ブルテン「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」と,モリス・ハーシュマン「囚人が友を求めるとき」の2編が収録されてます。「…を読んだ男」は,パロディの中でも古典的ですが,「囚人が…」の方は,密室そのものが成り立っていないという,いわばある意味での「アンチ密室」と呼べるように思います。そういった作品がこのようなアンソロジィに含まれること自体が,「密室殺人」がすでにその特権的地位を失っていること,「黄金時代」が過ぎ去っていることを如実に示しているのではないでしょうか。

03/05/05読了

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