小池真理子『水無月の墓』新潮文庫 1999年

 幽霊や超能力など,スーパーナチュラルな存在を題材とした幻想的な作品8編をおさめた短編集です。
 この作者の作品というと,『墓地の見える家』のようなタイプの作品もあるとはいえ,どちらかというと,平凡な生活の奥底で息づく欲望や悪意,そして狂気,小さなことをきっかけとしてそれらは噴きだし,見慣れた平和な生活が崩壊していく・・・といったような,いわゆる「心理サスペンス」を得意とする作家さんというイメージが強いです。ですから,この短編集はちょっと違う手触りが感じられます。
 しかも,通常の幽霊譚とも異なるテイストを持っています。というのも,「生者」と「死者」とが,ホラーなどでしばしば描かれるような対置的な関係にはない点です。それは,「生者」と思っていた語り手が,じつは「死者」だったという(ホラーではしばしば用いられる)テクニックによるものも,もちろんありますが,それとともに,登場人物,とくに主人公の造形の特異さにあるように思われます。
 所収の作品の主人公たちの多くは,「生者」でありながら,「生者」よりも「死者」に近いような,少なくとも「死者」に親近感を持つようなキャラクタです。たとえば「ぼんやり」の主人公は,毎日新宿の会社で単調な事務仕事を坦々とこなし,会社と自宅―郊外の墓地のすぐそばにある家―とを往復する日々を送っている三十代の女性です。友人からは「三十代にして早くも老後を始めた」と言われます。まさにタイトル通り,「ぼんやり」としたキャラクタです。また「夜顔」の女子大生は,躰が弱く,大学では友人がひとりもできませんが,唯一,散歩の途中で知り合った奇妙な家族に得もしれぬ安らぎを覚えます。しかしその家族はじつは・・・という風に物語は展開していきます。「流山寺」では,若くして死んでしまった夫の帰りを待つ女性がでてきます(実際に夫は「帰ってくる」のです)し,「私の居る場所」の主人公はこうつぶやきます。
「結婚生活十四年。私が一度も町を出ることを考えなかったのは,ここが気にいったからではない。夫や子供を愛していたからでもない。まして古い映画に出てくるヒロインみたいに,けなげにも人生の覚悟を決めたからではない。他に行く場所がどこにもなかったからだ。」
 世間的に見れば,これらの登場人物たちは,無気力で,影の薄い人々といえましょう。生きるためのエネルギィを,どこかで置き忘れてきた(あるいははじめから持っていなかった)人々,生者よりも死者に近い生者なのかもしれません。だからこそ,彼女らは,「こちら側」と「あちら側」との間の境を,いともやすやすと飛び越えてしまいます。いやさ「飛び越える」などという言葉の持つアクティヴな語感とも違います。もっと「するり」と,散策の途中にちょっと寄った,というなにげなさで「あちら側」へと移り住んでしまいます。
 そんな曖昧模糊とした「生者」と「死者」との関係。この作者が好んで描く「欲望」や「狂気」,「愛憎」とは対極にあるような人物たちが織りなす物語は,それはそれでいて,不気味さと妖しさがほどよくブレンドされた世界といえるかもしれません。

99/02/13読了

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