高木彬光『ミイラ志願』講談社大衆文学館 1996年

 「歴史を動かす鍵は,ある場合には個人の手に握られることもある。しかし,その個人は自分一人の意思では,その鍵をあやつることはできないのだ」」(本書「妖怪志願」より)

 9編を収録した時代伝奇小説集です。各編のタイトルが「○○志願」と統一されていますが,その「志願の対象」が,「ミイラ」であったり「不義士」であったり,はたまた「妖怪」「女賊」であったり,とあまり普通でない点が「ミソ」になっています。「なぜそんなものを志願するのか?」という謎がストーリィの牽引力になっているとともに,その「志願」をめぐる人間の欲望や情念,狂気を,シニカルな視点と,ある種の「反骨精神」から描き出しています。

「ミイラ志願」
 捕り方の手を逃れて,即身仏になることを志願した盗賊の真意は…
 あつい信仰を集める「即身仏」が,必ずしも同等の信仰心を元に生まれたものではないというお話。過酷な千日修行ののちの遊行…うまくすれば逃亡できる状況にある遊行の際に,主人公に随行するふたりの僧の設定を凝ることで,さながら波に飲み込まれるかのように,主人公がミイラにならざるを得なくなる状況を,皮肉たっぷりに描き出しています。
「偽首志願」
 明智光秀が織田信長に献上した「宝」。それは信長そっくりのひとりの男だった…
 時の覇者に酷似していたため,時代の波に翻弄される男の姿を描いていますが,主人公よりも,明智光秀の見つけ出した「影武者」を,「正念場」で切り札として用いる羽柴秀吉のマキャベリストぶりの方が精彩を放っています。
「乞食志願」
 信長の奇襲により敗死した今川義元の遺児・氏真が求めた人生とは…
 「偽首志願」とは対照的な作品といえましょう。とくに明智光秀今川氏真との会話の「ずれ」がおもしろいですね。また,戦国の世では「無能」という烙印の押された氏真の生き様を描くことで,権力欲に囚われた「英雄」たちの虚しさ,哀しさを浮き彫りにしています。
「妖怪志願」
 天下分け目の関が原の戦い前夜。西軍武将の前に奇怪な妖怪が姿を現し…
 「この作者も,こういったタイプの作品を書くのか」と,ちょっと驚かされた作品。「妖怪」の正体は,途中で見当はつきますが,「敗北」を予言された,それぞれの西軍武将と「妖怪」との会話に味わいがあっていいですね。
「不義士志願」
 吉良邸討ち入り直前,赤穂浪士から脱退した高田郡兵衛の隠された秘密とは…
 以前読んだとき,鮮烈な記憶に残った作品です。わたしの「赤穂浪士観」を大きく揺さぶりました。高田郡兵衛の脱退の理由は,いかにもありそうなリーズナブルなものですし,その上での郡兵衛の振る舞い…「メンツ」に拘る武士の独善的な倫理を暴露する振る舞いが,興味深く読めました。
「飲醤志願」
 好色な殿様の命を受け,ひとりの女を得るために実行された奇策の結末は…
 メンツと保身のために姑息な策を弄する男たちと,「女の見栄」を最後の最後まで通したおつやが,鮮やかなコントラストをなしています。「罠」はけっこう陰湿ですし,死人が出ているにもかかわらず,どこか爽快感が感じられるのは,そんなおつやの姿によるものでしょう。
「首斬り志願」
 首斬り役人・山田浅右衛門に婿養子に入った男の真の目的は…
 なぜ主人公は,その女に残酷な振る舞いをしたのか? その理由はあくまで曖昧なままですが,主人公の酷薄なまでの用意周到さ,冷静さを描くことで,主人公の女に対する憎しみの深さ,そしてその心のうちに潜む「静かな狂気」を浮かび上がらせています。
「女賊志願」
 大阪大学に保管されている刺青の皮。その背後にあるものは…
 デビュー作『刺青殺人事件』で示された薀蓄からも想像されるように,この作者は刺青に対して深い関心があるようです。1枚の刺青をめぐる「裏話」から,妄言癖を持つひとりの女の数奇な人生へと巧みに話を転がしてく筆使いは絶妙です。
「渡海志願」
 幕末,長崎から清国へ密航を企てた男の正体は…
 目的を成し遂げるためのひたむきさ…それはときには「努力」と呼ばれ,ときには「狂気」と呼ばれます。両者の境が奈辺にあるのか,線引きはきわめて難しいでしょう。「われわれの渡海の目標が十年二十年後にあるとすれば,現在の国法など何でもない」という主人公のせりふには,冷徹な現実認識に裏付けられながらも,そんな淡い「境」から立ちのぼる鬼気が感じられます。

02/10/27読了

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