白石一郎『夫婦(めおと)刺客』光文社文庫 1989年

 「世間は自分らより一歩先を歩く者を決して許さぬ」(本書「衒商(てれん)」より)

 7編の時代小説をおさめた短編集です。

「伊賀の兄弟」
 織田信長に焼き払われた伊賀の里で,女は,夫の弟と暮らすことになり…
 普段「ぼんくら」と見られていた人物が,いざというときに「実力」を発揮するという物語は,おそらく現代が舞台でも痛快なものでしょうが,真剣による命のやりとりの場面で発揮される時代小説だからこそ,より「輝き」を増すとも言えましょう(ただし,なんの準備も訓練もなく,「生まれ持った力」が超能力のように発揮されるという最近流行りのパターンは好きではありません)。
「戦雲に散る」
 輿入れする姫に,付き人として随ったのは,かつての許婚の侍であった…
 明日をも知れぬ戦乱の世であればこそ,ほんのわずかな一言,振る舞いが,重く深い意味を持ってくるのでしょう。その重さ,深さが,政治・軍事の世界の「非情さ」をより鮮烈に照射しています(読んでいて,劇場版『クレヨンしんちゃん モーレツ嵐を呼ぶ戦国大合戦』を想起したのは,本末転倒なのかも知れませんが…)
「三河武士道」
 三河で起こった一向一揆。一揆勢には家康家臣も数多く参加していた…
 徳川家康が天下統一を果たし得たのは,その強固な家臣団の存在があったといわれます。家康に弓する立場に立ってしまった若侍を主人公にしながら,その強固さ(あるいはねばり強さ,したたかさ)を活写しています。どこか飄々としたタッチも感じられます。
「てれん(衒商)」
 田沼意次失脚によって,遠州屋杢兵衛は窮地に立たされ…
 冒頭に引用した言葉に象徴されるように,一種の「田沼再評価」的なスタンスに立った作品です。ですが,本編で描かれる田沼意次は,どこか田○角○を連想させます(庶民の反応にも通じるものがあります)。かつての「時代の先端」は,現代では「旧体質」の象徴なのかも知れません。
「恋女房」
 大友勢と毛利勢が対峙する博多で,恋女房を捜すひとりの男が彷徨い…
 戦乱に巻き込まれた庶民の哀歓を,狂気につかれた男を主人公にすることで描き出し……,という「ありがち」な設定を巧みに用いて,思わぬツイストを仕掛けています。文中の何気ない会話も,ラストでの伏線になっていてグッドです。
「悪党たちの海」
 長崎で抜け荷に手を染めた伊三次は,殺人まで犯してしまう…
 「悪」に憧れ,その「悪」によってひねりつぶされてしまうチンピラの悲劇を描いた,江戸時代版クライム・ストーリィといったところでしょう。
「夫婦(めおと)刺客」
 駆け落ちした男女を追うもう一組の男女。彼らにはある秘められた使命が…
 奇抜なオープニング,じんわりと描かれる男女の情愛,そして悲劇にしかたどり着かないぎりぎりの線での鮮やかなツイスト。章立てから察するに,サスペンス小説のフォーマットを意識的に踏襲していると思われますが,それが成功しています。本集中,一番楽しめました。

06/01/16読了

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