東野圭吾『名探偵の掟』講談社ノベルズ 1998年

 よれよれのスーツにもじゃもじゃ頭,古びたステッキがトレードマークの名探偵・天下一大五郎。密室殺人だろうと,アリバイ崩しだろうと,ダイイングメッセージだろうと,バラバラ殺人事件だろうと,彼の手にかかれば,あっという間にすべて解決。なぜなら彼は名探偵だから・・・,難事件を解決するのが名探偵の掟なのだから・・・

 この作者の本格ミステリに対するアンビヴァレンツな想いを描いた『名探偵の呪縛』を先に読んだせいでしょうか,素直に笑えない気持ちで読みました。いや,もちろんおもしろいですし,読んでいて大笑いしたところも多々あるのですが,読み終わったあと,どこか「宴の終わり」のような一抹の寂しさを感じてしまいました。

 一種の連作短編集で,名探偵・天下一大五郎が,ワトソン役の大河原番三警部とともに,“難事件”に挑む,という体裁をとります。その多くは「本格ミステリ」のコードに沿った,まさに「典型的」あるいは「類型的」,はたまた「“もういい加減にしてくれ”的」な“難事件”です。たとえば「密室宣言」では「雪密室」,「屋敷を孤立させる理由」では「閉ざされた山荘テーマ」,「最後の一言」ではダイイングメッセージ,「殺すなら今」では「童謡見立て殺人」,「禁句」では「首なし殺人」といった具合です。
 ところが,舞台は本格ミステリでよく見るパターンですが,主人公の天下一も,大河原警部も,そんな「小説世界」にうんざりしているという設定です。そしてときおり「小説世界」から逸脱し,その世界の「ワンパターンさ」「陳腐さ」に対して批判とも愚痴ともつかぬ言葉をはきます。たとえば天下一は「密室」は大嫌いですし,「首なし殺人」では早々にそのトリックを明かします。「凶器の話」にいたっては,“名探偵”の“名推理”さえも茶化し,「本格ミステリとしての世界を維持しようとする心性」そのものを俎上に乗せています。つまり,各短編が本格ミステリのパターンやコードに対する強烈なパロディになっています。
 先にも書きましたように,この作者は,こののち『名探偵の呪縛』を書き,「本格ミステリ断筆宣言」をします(したのか?)。そのような展開をすでに知っているわたしとしては,ここで描かれている「パロディとしてのおかしさ」をあっけらかんと笑うことに,どこかためらいを感じてしまいます。またカバー裏にある「ミステリを“をかし”の領域にまで昇華させた」などという能天気な紹介文を素直に受け取ることができません。むしろ,(ちょっと大げさかもしれませんが)みずから愛するものを傷つけるような,痛々しさ,哀しみのようなものさえ感じられてしまうのです。
 もちろん,パロディはパロディとして楽しめばいいし,笑えるところは笑えばいいのかもしれませんが,『名探偵の呪縛』の“呪縛”に囚われてしまっているため,どこか「泣き笑い」的なところがどうしても残ってしまいました。

 ただ最後にもう一度断っておきますが,けっしてつまらない作品ではありません。おもしろい作品です。念のため・・・。

98/04/16読了

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