ポール・ギャリコ『マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険』創元推理文庫 2000年

 この感想文は,作品の内容に深く触れていますので,未読で先入観を持ちたくない方には,不適切なものになっています。ご注意ください。

 野心旺盛ながら,いまだ駆け出しの芸能エージェント・ビミーの元に幸運が舞い込んできた。幸運の名前は“マチルダ”―ボクシングをする牡カンガルー。ビミーは見世物として契約するが,マチルダがミドル級チャンピオンをKOしたときから,すべてが変わりはじめる。マチルダは,挑戦者をつぎつぎとなぎ倒し,破竹の快進撃。しかし,KOされたチャンプのバックにいるマフィアの魔手が,彼らに襲いかかろうとしていた・・・

 古いモノクロ映像などで,カンガルー同士のボクシングが,見世物・余興として行われていたことは知っていました(今では,動物保護団体からのクレームで,とてもできることではありませんね)。本作品は,その見世物としてボクシング・カンガルーが,ミドル級チャンピオンをノックアウトしてしまったことから生じる大騒動を,ときにコミカルに,ときにサスペンスフルに展開させていきます。とくに,マチルダ関係者たち―ビミー,ビリー・ベイカー,パトリック・アロイシャス―に襲いかかるマフィアの,あの手この手の襲撃と,それを機転をきかせて避けていくところは,ストーリィに適度の緊張感とスピード感を与え,サクサクと読んでいけます。
 また作者は,マチルダを取り巻く個性豊かなキャラクタ群を,くっきりと描き出していきます。恋人ハンナと結婚するために,一攫千金を狙う芸能エージェントビミーマチルダの飼い主で,“彼”に深い愛情を注ぐ元プロ・ボクサービリー・ベイカー,一癖も二癖もあるが敏腕のボクシング・マネージャーパトリック・アロイシャス,ボクシング界に強い影響力を持つスポーツ記者パークハート,紳士とマフィアのボスというふたつの“貌”を持つアンクル・ノノなどなど・・・マチルダに対してさまざまな距離とスタンス,思惑を持ったキャラクタを配することで,一本調子になりがちな設定を巧みに回避し,物語に深みを与えていると言えましょう。そしてこのキャラクタ配置こそが,終盤になって明らかにされる「真相」に深く関わっています。

 そう,カンガルーが現実のボクシング業界でチャンピオンに挑戦するという,奇想天外でファンタジックな物語は,ミドル級チャンピオンリー・ドカティとの再戦シーンを分水嶺として,大きく変貌します。それまでのマチルダの連戦連勝は,すべて大がかりな見世物,フィクションであることが明らかにされます。それはマチルダ,つまりカンガルーが持つ特性−一度殴られると戦意を失うという特性に由来するものです。そしてそれは,マチルダ(カンガルー)=天才ボクサーという人間側(とくにパークハート)の勝手な思いこみ,“幻想”を打ち砕くものであるとともに,本書中,何度も繰り返し触れられてきた「誠実さ」の在りようが浮かび上がらせていきます。
 その「誠実さ」とは,複雑で苦さを含んだものとも言えます。たしかに,それまで描かれてきたパークハート的な(あるいはハンナ的な)「誠実さ」は,シンプルで,また耳あたりの良いものでしょう。しかし,そういった「誠実さ」が,ときに「偽善的」な側面を持つことが,“悪党”パトリック・アロイシャスの告発によって明らかにされます。あるいはまた,「敵」であったアンクル・ノノの,二面性を持ったマフィアのボスの,気まぐれとも言えるような独特の倫理観によって,マチルダの「幸せ」を得られるという,ある意味,皮肉な結末もまた,世の物事が一筋縄でいかないことを象徴しているように思えます。

 この物語の主人公は,マチルダというカンガルーです。しかし,同時にマチルダは,その周囲を取り巻く人々の欲望や思惑,思いこみや幻想を拡大して映し出すメディアであるとも言えます。さらに,その映し出されたものを,安易に「善と悪」「誠実とペテン」として分割するのではなく,両者が入り交じった,矛盾と葛藤を含んだ「人間」として描いているところに,この作品の秀逸さがあるのではないかと思います。

00/08/15読了

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