阿刀田高『幻の舟』角川文庫 1998年

 天下人・織田信長が,稀代の絵師・狩野永徳に命じて描かせた安土城の屏風絵。天正遣欧少年使節団を通じてローマ法王・グレゴリウス13世に贈られたその屏風は,その後,歴史の闇の中へと姿を消す。その行方に関心を持ち,調べ始めた“私”の周囲には,死の臭いがたちこみはじめ・・・

 この物語にはふたつの「顔」があるのではないかと思います。ひとつは「幻の安土屏風」をめぐる「歴史ミステリ」としての「顔」。言い方を変えれば「理」的な側面です。「安土屏風絵」にはどのような絵が描かれていたのか? 焼失した安土城はいかなる姿をした城だったのか? なぜ信長は天皇の所望を退けながら,宣教師ヴァリニャーニに,その屏風絵を譲ったのか? どのような経緯でローマ法王の元にそれが渡ったのか? などなどです。
 作者は,ストーリィ展開に巧みに絡ませながら,これらの謎について,作者なりの見解を述べていきます。やはりそこらへんは「筆巧者」のこの作者らしい描き方と言えましょう。「歴史ミステリ」として気負って読むと,ちょっともの足りないかもしれませんが・・・

 さてもうひとつの「顔」は幻想小説としての側面です。ミステリでは,事象と事象とが「理」でつながりますが,幻想小説ではそれらはイメージでつながります。
 「安土屏風絵」に描かれていたと思われる「四人の乗る舟」,琵琶湖に伝わるという「あの世からの迎えの舟」,すぐれた絵画と持つ“妖気”,ラフカディオ・ハーンの「果心居士のはなし」,そして突然の病魔に襲われ死にゆく“私”の妻・・・。それらはけっして明解な論理でつながる類のものではありません。個々の事象が,相互に重なり合い,混じり合い,溶け合い,独特のイメージを喚起します。そのイメージの奥底にあるものは“死”です。
 また本書中,「不能犯」という言葉が出てきます。法律用語のようですが,たとえば「丑の刻参り」のように,「もともと不能なる手段で意図しても,それは罪にならない」ということです。いわば「理」の外側にある行為です。この「理外」の行為が作品の奥底に流れる伏流となっています。男女の愛憎こそ,その「理外」の行為にもっとも馴染みやすいものなのでしょう。そのあたりの話のもっていき方も巧みです。

 そして「理」と「理外」の接点となるのが,本書のメインモチーフである「安土屏風絵」なのでしょう。歴史上の存在として「理」の内側にあり,探求の対象となりつつ,その一方で,「死」のイメージを喚起し,「理外」へと主人公たちを導く存在。
 この屏風絵の持つ二面性が,作品そのものの二面性となり,作品全体に不可思議な印象を与えているのではないかと思います。

98/12/24読了

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