帚木蓬生『空(くう)の色紙』新潮文庫 1997年

 この作者の初期3作品を収録した中短編集です。「サスペンス作家」以前のこの作者の作風を知る上で,なかなか興味深かったです。そんな点から,顔マークは「(^o^)」にしました。

「空(くう)の色紙」
 鹿児島で起きた,父親が息子を殺すという事件。犯人の精神鑑定を依頼された“私”は,彼を通じて,自分自身と直面することになり…
 冒頭,主人公を乗せた飛行機が空港に着陸する寸前のシーンが描かれます。どこの空港か明かされる前に,なぜか「あ,鹿児島空港だ」と思ってしまいました(表紙裏のあらすじにも舞台が鹿児島であることは書いてありません)。ちょっとした風景描写の中に,きっと見慣れた風景とシンクロするものが潜んでいたのでしょう。さて,この作品には3組の夫婦が描かれます。妻と息子の間を疑い,息子を殺してしまったアル中の夫,妻の殺人未遂容疑で服役する夫,そして,特攻で出撃して死んだ兄の嫁と結婚した“私”。これら3組の夫婦は,性格もあり方もまったく異なりながら,どこか奥底の方で,響きあい,震わせ合うものを持っているようです。「精神鑑定」というのは,他人の心を「神の如く」覗き込み,裁断さすることではなく,他人の心に,自分自身の心を見いだすことなのかもしれません。ラストで,このタイトルに込められた二重の意味が明らかにされ,人の心の不思議さが際だちます。本作品集では一番楽しめました。
「墟の連続切片」
 米軍機墜落事故の処理をめぐる大学当局側と学生自治体側との対立で揺れる西海大学。その最中,医学部教授のスキャンダルが暴露され…
 実際に九州大学で起きた米軍機墜落事故が,この作品のモデルになっています。途中,医学関係の専門用語が,なんの説明もなく羅列されて,その点でしょうしょう読みにくいのは確かですが,大学医学部の権力的な体質が,スキャンダルに関わった主人公を中心に,じんわりと描かれています。とくにラストシーンはショッキングです。石を投げつけながら,暴力的な快感を味わう主人公の姿は,主人公の鬱屈とした気持ちの暴発を描くとともに,主人公を含む大学医学部そのものが「人を救うものとしての医師」の対極にあることを告発しているように思えます。
「頭蓋に立つ旗」
 医学部解剖学第一講座教授の石郷正法は,頑固者で有名な名物教授。骨学実習中,標本の頭蓋骨がひとつ紛失し…
 この作者の“幻のデビュー作”だそうです。主人公の石郷教授に不思議な魅力を感じます。最初は,頑迷で旧弊な老教授といった感じなのですが,戦中に起きた米軍捕虜生体実験事件(これも九州帝国大学で起きた実際の事件です。遠藤周作『海と毒薬』が有名です)や,妻との確執などが少しずつ描かれていく過程で,主人公がひどく人間くさくなってきます。そして,そんな老教授が,「時代の流れ」に(おそらく)破れていくラストシーンは,ある種の哀れさともの悲しさを感じさせます。ただ前作と同様,文章がやはり生硬で,ちょっと読みにくいのが難ですが…。ところで,「頭蓋骨」は,「づがいこつ」ではなく「とうがいこつ」って,読むんですね。

97/12/13読了

go back to "Novel's Room"