真保裕一『朽ちた樹々の枝の下で』講談社文庫 1999年

 妻の事故死をきっかけに札幌を離れ,上富良野の造林作業員として働きはじめた“私”は,ある早朝,山中で自殺志願者らしい女を助ける。が,彼女は何もいわず病院から姿を消してしまい,さらに彼女を追うように身分を偽った不穏な男が“私”の前に現れる。そして背後には,上富良野駐屯地に勤務していた元自衛官の爆死事件が見え隠れする。彼女が単身奥深い山中に入った理由はなんだったのか? “私”は彼女のあとを追い始める・・・

 ああ,やっぱり巧いようなぁ・・・と思わせます。物語は,主人公と女性との山中での奇妙な出会い,そして彼女の失踪という,ミステリアスとはいえ,どちらかというと地味なシーンで幕を開けます。ところが,そこから元自衛隊員による不発弾の不正流用,爆死事件とつながっていき,背後になにやら大がかりな陰謀の存在がちらついてきます。
 また,主人公の働く現場でつぎつぎと起こる不可解な事件。林野庁のお役人が乗る車が林道に掘られた落とし穴に落ちたり,造林休憩所が何者かによって破壊されたり,作業員たちが意図的にハチの大群に襲われたり・・・。これらは,過激な自然保護団体の仕業なのか,それとも・・・と,作者は,事件の謎を追う主人公の前に(つまりは読者の前に)つぎからつぎへと謎を提示していきます。主人公がひとつの地点にたどり着くと,そこからまた新たな謎が立ち現れる・・・といった具合です。ですから,主人公とともに,眼前に現れる謎を追いながら,ぐいぐいと読み進めていけます。

 そんな巧みなストーリィ展開を「骨」とするならば,登場人物たちのキャラクタ設定は「肉」といえるでしょう。
 暗い過去を背負った主人公は,事故死した妻への負い目,周囲からの「訳知り顔で口にされる慰めや,正論すぎる励まし」から逃れるために,人里離れた土地で造林作業員としての日々を送ります。彼の過去に対するスタンスが,山中で偶然助けた女性の行方を追う重要な動機となっているあたりは,さすがです。そして主人公の周囲にいるさまざまな脇役たち,医師の栗原,かつての友人で札幌での主人公の調査を手助けする菱川容子,元自衛隊員とともに爆死したミリタリィ・ショップの主人の子どもたち小賀坂姉弟,そして主人公と仕事をともにする造林作業員の面々・・・作中人物である以上,彼らはストーリィに奉仕する存在ではありますが,けっしてストーリィに従属していない,なんか言葉の遊びみたいですが,そんな印象を受けます。ほんのわずかな端役であっても,じつに確固とした存在感が感じられます(メインキャラのひとり,西垣慶子の印象がいまひとつ不鮮明だったのが残念ですが・・・)。

 そしてこの作品を読んで,あらためて思ったのですが,ところどころに出てくる,こう,心の琴線に触れるような渋い文句がいいですね。たとえば,
「お節介ってのは,迷惑なだけじゃない。時と場合によっては,間違いなく,人の手助けになる」
とか,
「訳知り顔で口にされる慰めや,正論すぎる励ましなど,余計に心を重くさせるものはない。それができないからこそ,人は悩み,苦しむのだから」
そして繰り返されるメイン・モチーフ・・・
「人は変わる。よくも悪くも。最初の志が,たとえどうあろうとも――」
などなど,この作者,ハードボイルド作家としての資質もしっかり持ってますね。

 ただ難を言えば,これだけ盛り上げるだけ盛り上げておいて,ラストがちょっと腰砕け,といった感じがしないでもありません。人の心の弱さとせつなさを描き出した余韻溢れるエンディングはそれなりにいいのですが・・・それはそれで,やっぱりハードボイルドかな?

 ところでこの作品,単行本は角川なのに,なんで講談社で文庫化されたんでしょう? あの(笑)角川がこんな「売れ筋」を他社に渡すというのは,よほどの事情があったのではないかと,つい邪推してしまいます^^;;

98/03/14読了

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