梶尾真治『クロノス・ジョウンターの伝説』ソノラマ文庫ネクスト 1999年

 「奇跡とは,愛し合う者たちのまわりに集まってくる」(本書より)

 住島重工の子会社P・フレックスで開発された「物質過去射出機」,通称“クロノス・ジョウンター”は,過去に物や人間を送ることのできるタイム・マシン。しかし,過去での滞在期間はごくわずかであり,またその後に,恐るべき副作用をともなっていた。それは「時の神(クロノス)」が,自然の摂理に反して時を超えた者に与えた「罰」なのだろうか?

 本書は,「クロノス・ジョウンター」をめぐる時間テーマSF3編をおさめた連作短編集です。いずれもラヴ・ストーリィです。
 「吹原和彦の軌跡」では,大事故で死んでしまう“恋人”を救い出すために,主人公は“クロノス・ジョウンター”で過去に飛びます。それが自分の人生を大きく,それこそ想像もできぬほど狂わせてしまうことを重々承知しながらも,彼は何度も過去に飛びます。ラストでのある描写が,悲しくもさわやかな結末を暗示させ,余韻があるエンディングになっています。
 「布川輝良の軌跡」は,実験のために過去に飛んだ男と,偶然出逢ってしまった女との,短くせつない恋を描いています。無名建築家が建てた家屋を見たいという,主人公の「動機」がじつにユニークで,またその願いが叶えられるクリスマス・イヴのシーンは鮮烈で,素敵です。
 そしてラストの「鈴谷樹里の軌跡」では,子どもの頃に知り合った青年を救うために,女医となった主人公が過去に飛びます。時間テーマではありがちな展開ながら,ラストでの思わぬツイスト―しかし設定的にはけしてご都合主義ではないツイスト―が楽しめます。

 以前,ある方が,時間テーマのショート・ストーリィを,ご自分のサイト上で公表したところ,本人はドタバタ・コメディのつもりで書いたのに,「じんときた」というメールをもらって,戸惑ったという話を聞きました。
 時間テーマSFというのは,たとえ執筆者の意図はどうであれ,どこか,人の心の琴線に触れるものがあるようです。それはきっと,わたしたちすべてが,時間という桎梏に囚われた存在だからでしょう。過去の行為をどれだけ悔やんでも,過去を変えることは不可能ですし,輝いていた時代を取り戻すことはできません。また未来に対して期待と不安は抱いても,未来を知ることもまた許されません。
 そしてまた,人は,時の流れの中で,人がいかようにも変わってしまえるということを知っています。かつてあれほど愛し合っていた者たちが,互いに心の底から憎み合うようになり,信頼していた人物からは,手酷い裏切りを受けるかもしれません。時の流れを前にして,時の流れがもたらす人の心の変化に対して,何人たりとも抗うことはできません。「心」ほど,時の流れに弱いものも,他にないのかもしれません。
 だからこそ,そんな時間の桎梏をやすやすと飛び越えてしまう時間テーマSFは,(さながら宗教的な祈りの文句のように)繰り返し書き継がれるのでしょうし,ラヴ・ストーリィを絡めた本書のような作品に対して,羨望にも似たせつなさを感じるのでしょう。

 つまり,3編に題された「軌跡」―3人の主人公たちの時を超えた軌跡―とは,時の前に無力な人の心に与えられた「時の神(クロノス)」からの「奇跡」なのでしょう。

98/06/28読了

go back to "Novel's Room"