貴志祐介『黒い家』角川書店 1997年

 昭和生命京都支社の主任・若槻慎二。名指しで来た苦情に対応するため,彼はある旧家を訪れる。が,そこで彼を待っていたものは少年の首吊り死体だった。その場にいた少年の父親に不審なものを感じる若槻。少年は自殺なのか? それとも殺されたのか? 会社が保険金支払いを躊躇する中,執拗に若槻につきまとう父親。そして若槻の周辺には不穏な空気が流れはじめる・・・。

 第4回日本ホラー小説大賞受賞作にして,『このミス'98』第2位の作品です。
 フェイス・マークでもおわかりいただけますように,本書はおもしろかったです。そのことはまず最初にお断りしておきます。
 ただこの作品はホラーなのでしょうか? たしかに「ホラーとはなんぞや?」なんて,人によって千差万別でしょうから,自分のホラーの定義ないしはイメージとは違うからといって「これはホラーじゃない!」と断ずることは傲慢の誹りを免れるものではありません。でも,ホラーをスーパーナチュラルな存在を介して読者が恐怖を感じるジャンルと思っているわたしからすると,「ホラー小説大賞」がこの作品に賞を与えたことは,今後,この賞の持つコンセプトを大きく揺るがすことになるのではないかと,考えてしまいます。まぁ,はっきりいって大きなお世話なのですが・・・^^;;;。

 それはさておいて・・・・。
 「サイコパスもの」は,一時期(?)ずいぶんともてはやされ,フィクション,ノンフィクション,いろいろな本が出ていたようです。そっちの方面はあまり読んでいないわたしがこんなことを言うのもなんですが,物語としてはどこか同工異曲的で,キャラクタも類型的な印象を持っています。要するに,映画化もされたトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』が持つインパクトから脱却しきれない,といった印象(偏見?)です。
 その点,本作品は,「保険金詐取」という,サイコパスとはイメージ的に対極にある(わたしだけか?)犯罪と巧く絡めることで,独自の雰囲気を造り出すのに成功しているように思います。作者の履歴を見ると,生命保険会社にいっとき席を置かれておられたようなので,まさに「昔取った杵柄」なのでしょう。
 ストーリィ的にも,保険会社の日常的な風景から,おぞましくショッキングなシーンへと転落するオープニング,狂気の光を目にたたえながら,毎日会社を訪れ,若槻を苦しめる少年の父親,しだいに明らかにされる父親の過去から浮かび上がる不気味な人間像,などなど,真綿で首を絞められるような息苦しさをともなった緊迫感のある展開は,目が離せません。「サイコもの」では,しばしば途中に心理学的な専門用語による解説や事例紹介みたいなものが挿入され,それがストーリィの流れを停滞させてしまう作品がときおり見かけられますが,この作品は比較的上手に処理しているようです。そして物語は終盤,大きく転回し,クライマックスへと雪崩れ込んでいきます。ここらへんも,ミステリで言うところの「意外な真相」的な趣があり,伏線も効いてます。

 そして“犯人”が醸しだしている「あなたの隣にいる人がじつは・・・」的な不気味さがじつにいいです。また主人公が大学時代に「昆虫学」を専攻していたという設定で,随所に昆虫の生態を描く部分が挿入されます。その,人類を含めた哺乳類とは異質な行動パターンの描写が,“犯人”の狂的な行動をいやがおうにも喚起させ,グロテスクな雰囲気を盛り上げています。
 個人的には,いかにもという感じもしますが,「1個足りないお弁当」のエピソードが好きです。映画の『ジョーズ』でいったら,あの重苦しいBGMが流れるところでしょう(笑)。

 ただちょっと残念なのが,主人公のトラウマがいまひとつメインストーリィに生かされていないことと,それをめぐるエンディングが少々バタバタした感じを与えているところでしょうか? 主人公の恋人・黒沢恵のキャラクタももう少し掘り下げてほしかったところです。

98/08/22読了

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