ジョン・ソール『暗い森の少女』ハヤカワ文庫 1978年

 「人の心は,その人が行きたいところをさまようものです」(本書より)

 不吉な伝説の伝わる旧家コンジャー家には,ふたりの娘がいた。妹のセーラは,1年前の“事件”以来,精神に異常をきたし,外界との交渉を絶っている。そんな妹をかいがいしく世話をする姉のエリザベス。“事件”の真相はいったい何なのか? そして“事件”の起きた森で,ひとり,またひとりと子どもたちが姿を消していき…

 本書の帯には「川本三郎氏が推薦する作品」と銘打ってあります。そのほかにも北川次郎などが推薦する作品(ジャック・ヒギンズだったかな?)などがありましたが,こういったフェアで古い作品がふたたび店頭に並ぶのはいいですね。

 「憑依ホラー」と呼べるタイプの作品です。100年前,コンジャー家で起こった忌まわしい殺人事件。父親の不条理な暴力によって殺された少女の霊が,「現在」のコンジャー家の娘に取り憑き,さながら復讐するかのように殺人を繰り返す…こんな風に書いてしまうと,じつにシンプルな「因縁譚」「憑依譚」になってしまいます。しかし,作者はそこに「抑圧される子ども」という,十八番とも言えるモチーフを重ね合わせます(100年前の事件そのものも「抑圧される子ども」の悲劇ではありますが)。

 姉のエリザベスは,精神に障害を負った妹セーラを,忍耐強く,愛情を持って世話をします。その姿が,十分にセーラの世話を見ることのできない両親−ジャックローザ−に罪悪感を抱かせるほどの「いい娘」です。けれども,過去の少女の霊が取り憑いたときの彼女は,奥深い「洞穴」に友人を突き落とし,口汚く罵り,嘲笑い,ついには殺してしまいます。そのときに彼女が口走る言葉の端々には,「霊」によるものだけではない,エリザベスの「本音」が現れているのではないでしょうか? 「良い娘」の心の奥底に眠る不満や怒りが表出しているのではないでしょうか?
 エリザベスは,セーラが精神を閉ざしてしまった“事件”−父親がセーラを殺さんばかりに殴りつける場面を目撃しています。またセーラの面倒を見るエリザベスを褒めながら,セーラとの接触に戸惑う母親,夜中に口論する両親を知っています。さらにはセーラに対する不満(「洞穴」の中で死んだ猫を相手に「なんで喋らないの!」と罵倒する姿は,妹に対する鬱積した不満を現しているように思えます)。それらすべてを表面に出すことなく彼女は「良い娘」でありつづけます。エリザベスはまだ13歳です。幼い心は本当にそれらさまざまなことを受け入れ,咀嚼しているのでしょうか? 「霊」が憑いたときの振る舞いは「霊」によるものだけなのでしょうか?

 「過去」と「現在」,「霊の少女」と「生身の少女」…親の子どもに対する抑圧・暴力をキーワードにしながら,両者は結びつき,共振共鳴し,増幅していきます。この作品が描き出そうとする「恐怖」とは,単なる憑依現象ではなく,憑依される側の心に潜む「魔」,あるいはそれを導き出す,子どもを取り巻く絶望的なシチュエーションにあるのではないでしょうか。

 ところで最近(2002年3月),ヴィレッジブックスという文庫から,原著2000年刊行の『妖香』という作品が発売されました。久しく,この作家さんの新作が出ていなかっただけに,ファンとしては嬉しいですね。

02/03/31読了

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