エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの国際事件簿』創元推理文庫 2005年

 「“ミステリ”という単語の語源の一つは,ギリシャ語の“閉ざされた口”である」(本書「あるドン・ファンの死」より)

 最初に白状しておきますと,この世界的ビッグネームのミステリ作家が,「犯罪実話」を書いていたということを,本編を読むまで知りませんでした。でもって,ついでに白状しますと,「犯罪実話」なるジャンルには,(偏見と言われてしまえばそれまでですが)暴露趣味的・扇情的,しかしそれでいながら類型的という印象が根深くあり,敬遠したくなるものがあります(もちろんすぐれた犯罪ノンフィクションもあるのですが)。
 ですから,本書を手に取ったとき,正直,戸惑いがありました。いかなる作家であっても「傑作」ばかりではありません。それはこの御大も同様です。つまり本編は,作者の「本職」でない部分の「落ち穂拾い」ではないか,という先入観がありました。
 ところがどっこい(<死語),やはりこの作者は「作家」なのであります。たとえ「実話」を元にしていたとしても,それを再構成しながら,「魅力的なお話」を作り上げる技量は並々ならぬものがあります。たとえばそれは,さりげない伏線の引き方であったり,オチへ持っていくためのストーリィ・テリングであったり,「意外な真相」的な提示の仕方であったりと,まさにフィクションとしてのミステリのフォーマットをしっかり踏まえた「犯罪実話」になっています。つまり「実話」としてではなく,「ミステリ」として楽しめる作品集となっていると言えましょう。

「エラリー・クイーンの国際事件簿」 
 世界各地の犯罪実話20編を収録しています(日本では,冤罪の可能性が指摘されている帝銀事件「東京の大銀行強盗」)も含まれています)。各編とも,上に書きましたように「ミステリ小説的風味」が加えられているのですが,その中でも楽しめるのは,やはり最後に強烈なツイストが仕掛けられた作品です。
 たとえば「フォス警部最後の事件」では,なぜ有能な警部がある事件を最後に突然引退したのか,という謎が提示され,巧みな伏線に基づくビターな「真相」が明らかにされます。また「死の顎」は,犯人特定の「決め手」を,「死人に口なし」という俗諺を,ダブル・ミーニングとして用いながら描き出しています。そして「ブエノスアイレスの屠畜人」は,それこそ「事実は小説よりも奇なり」という言い回しを地で行くようなトリックを用いたバラバラ殺人事件を扱っています。また真相の「見せ方」も心憎いばかりに配慮され,良質なミステリ掌編を読んだような気分にさせられます。
 一方,無能に見える警察官が,その狡智で犯人を追いつめる「バルカン風連続犯罪」,都市伝説(賭博伝説?)的な「クルーピエの犯罪」,「奇妙な味」を持った「アボリジニの中の死」など,多彩さもまた本シリーズの魅力のひとつと言えましょう。

「私の好きな犯罪実話」
 「テイラー事件」「あるドン・ファンの死」の2編を収録。ともに未解決の現実の事件を取り扱っています。前者は,サイレント・ムービー時代のハリウッドで起きた監督殺害事件。射殺後の死体を椅子に「安楽に」座らせるという謎も強烈ですが,それとともに,監督の死によって銀幕から姿を消したふたりの女優の姿は,高口里純『伯爵と呼ばれた男』を連想させる哀愁があります。
 じつにさまざまな謎が散りばめられた殺人事件を取り上げた後者は,ヴァン・ダインをして『ベンスン殺事件』を書かしめ,それに触発されてエラリー・クイーン『ローマ帽子の謎』を書いたという,ミステリ史上,曰く因縁のある事件です。

「事件の中の女」
 犯人としての女性,被害者としての女性,探偵としての女性など,さまざまな「事件の中の女」を取り上げた19編を収録しています。さまざまな「女性像」を描き出すことにメインが置かれているせいか,「国際事件簿」に比べると,犯罪実話的な色合いが,より濃くなっています(あたりまえと言えば,あたりまえか?)。
 多様なタイプの犯罪が取り上げられていますが,おもしろかったのをピックアップすると(実話なので「おもしろい」というのも不謹慎ですが^^;;),まずは「女王陛下より沙汰があるまで拘留」。現実と空想との混交の末に起こった少女たちの犯罪で,1954年に本事件が起きていることは,「テレビやゲームの普及で,子どもたちは現実と虚構の区別ができなくなった」という言説が,大嘘であることがわかります。また,はじめてのデートの際に,女の子に飲ませたウィスキーに毒が入っていたという「毒入りウィスキー事件」は,ミステリ小説が現実化したような事件ですし,「大きな耳を持つ男」は,『羊たちの沈黙』に代表されるサイコ・キラーものを彷彿とさせます。こういった事件を読むと,「フィクションは現実を後追いしている」という言葉が実感できます。そしてそんな「現実の事件の得体の知れなさ」をもっともよく表しているのが「ロンダ・ベル・マーティンの謎」でしょう。夫や実の子ども,6人も毒殺していながら,最後まで(そして本人にも)動機が不明というところが,なんとも不気味です。

05/10/02読了

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