ダニエル・キイス『心の鏡』ダニエル・キイス文庫 1999年

 この作者の長編版『アルジャーノンに花束を』は「文庫化されない名作」として有名でしたが,それを含む,翻訳既刊6作を一挙に文庫化したことで話題になった「ダニエル・キイス文庫」の1冊。7作を収録した短編集です。

「エルモにおまかせ」
 人類の危機を解決するために建設されたコンピュータ“エルモ”は,人類の知らないところで,とんでもない“契約”を結んでおり…
 本作品集に収められたいくつかの短編では,「機械(あるいは科学)と人間」というモチーフが取り上げられています。この作品のおもしろさは,人間の思惑を離れて活動をはじめた機械と人間との対立を描きながら,両者の対立の間に,主人公を置くことで,単純な対立図式を排したところにあるでしょう。またミステリ・タッチのツイストの効いたエンディングは楽しめました。
「限りない慈悲」
 コンピュータ“ディスパッチャー”によって“限りない慈悲”を与えられる未来社会。反ディスパッチャー派の弟を持ったポールは…
 本作品中,舞台となった時代の“過去”に,「自殺の時代」があったという設定になっています。もちろんキリスト教では自殺は大罪ですから,「自殺の時代」とは「神の死」の時代です。「神の死」ののち,人は何に“慈悲”や“癒し”を求めるのか? 日本人にとってピンと来ない問いも,キリスト教徒にとって大きな意味を持っているのだと思います。「神」の替わりに「機械」にそれを求めながら,それに反逆することによって,「機械」が「真の神」になってしまうという皮肉な結末は,作者の「機械」に対するペシミスティックな想いがあふれているように思います。
「ロウウェル教授の生活と意見」
 「コンピュータは思考する」―ニュージャージー州では法律違反のその言葉をふともらしてしまったロウウェル教授は,奇妙な裁判に巻き込まれ…
 アメリカ南部における「創造説vs進化論論争」を彷彿させる本短編でもまた,コンピュータと人間との皮肉な関係が描かれています。「思考」をコンピュータに与えたのは人間,それゆえコンピュータは,人間が人間を裏切るように,人間を「裏切りうる」存在になるのでしょう。
「アルジャーノンに花束を」
 画期的な外科手術によって“天才”となったチャーリィと白ネズミのアルジャーノン。しかし彼らを待っていた運命は…
 冒頭に掲げた長編の元になった短編です。“科学”によって翻弄される主人公を描く,という,使い古されたモチーフを用いながらも,本編が,けして色あせない魅力を持つのは,ひとつには主人公の「語り口」,とくに“天才”になる前のチャーリィの木訥な語り口の上手さにあると思います。それとともに,「無垢の喪失」という,人が誰もが経験するやるせないせつなさを,SFという衣裳をまとわせながら,たくみに切り取ってみせているところにあるのでしょう。ラストの一文は,そんな「喪失」の果てに,ただひとつチャーリィの中に残ったものを象徴しているのかもしれません。長編も好きですが,エッセンスをすっきりとまとめたこの短編も,いいですね。
「心の鏡」
 人の心を色や形で読みとる“クレイジー・マロ”。ある依頼により,彼を捜し出した弁護士の“わたし”は…
 この作家さんにとって,「SF」とは目的ではないのでしょう。前作と同様,そんな風に感じられる作品です。人から信頼されるためには,人を信頼しなければならない―当たり前と言えば当たり前のことながら,それはそれでなかなかしんどいことを,感動的に描く手腕は見事です。ただラストがどうもよくわからない・・・^^;;
「呪縛」
 医師に匙を投げられた父親を治療するため,ラリーと“僕”は,魔女チャヤローザを訪れるが…
 本作品中,一番異色のテイストを持った作品です。「邪眼」はいったい誰が持っていたのか? 本当に「邪眼」には人を殺す力があるのか? なにもかもが曖昧なエンディングは,主人公の気持ちと共振し,不安な雰囲気を醸し出すことに成功しています。なぜかブラッドベリを連想しました(少年が主人公だからか?^^;;)
「ママ人形」
 かつて,聾唖で全盲の娘を置いて家を出た妻が帰ってきた。その親族会議の席上…
 帰ってきた妻ローダ,彼女を説得しようとするいとこのシドニー,娘のヴィーナの「心の声」から構成された作品です。ここで描かれている「心の声」が,すべて娘のヴィーナに「聞こえている」という状況は,考えてみるとけっこう怖いです。しかし,ラスト・シーンは,超能力なのでしょうか? それとも親子の愛情なのでしょうか? むしろ,そのふたつは相近しいものなのかもしれません。

99/11/30読了

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