白石一郎『航海者』幻冬舎文庫 2001年

 「航海者は航海することが必要なのだ。生きることは必要ではない」(本書より)

 慶長5年(1600),豊後臼杵に満身創痍のオランダ船が漂着した。そのイギリス人航海長は,時の権力者・徳川家康と知遇を得,激動する時代の変遷の中で,外交顧問として活躍することになる。故国への望郷の念を胸に秘めながら・・・男の名はウィリアム・アダムス,日本名を三浦按針という・・・

 江戸時代というと,すぐに「鎖国」とイメージされますが,初代将軍徳川家康は,むしろ積極的に海外貿易を振興させていました。それは本作品でも語られているように,創建直後の幕府の財政基盤を確立したいという考えがあったようです。そんな海外貿易全盛時代の最末期の日本に漂着,家康の外交顧問として数奇な人生を歩んだイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)を描いた作品です。

 さて主人公のアダムスは,「富と名誉を求める」航海者,つまり世俗的な人間です。もちろん当時来航したスペイン人やポルトガル人も世俗的な目的を持っていましたが,彼らが宗教という衣を被っているのに対し,アダムスのそれは「むきだしの世俗性」と言えます(スペイン人宣教師が,国王に対して,日本でキリスト教信者を増やし,叛乱を起こさせ,スペインの植民地にしようと提言していたというのは驚きですね)。
 そんなアダムスの世俗性の「強み」がもっともよく出ているエピソードが,家康に命じられて西洋船を作るところではないかと思います。かつて造船所で働いていたことがあるとはいえ,造船技術のほとんどないアダムスたちは,日本の船大工たちと協力しながら,日本初の西洋船を完成させます。アダムスたちと船大工たちの「共通言語」は「技術」です。適切な材料を適切な道具と技術によって,ある目的の形へと造り上げていく−中途半端な理念や宗教などが介在する余地のない「世俗」の「技術」によって船を造っていくところは,アダムスの性格にもっとも馴染んでいるものだったのでしょう。ですから逆に,西洋船の操舵法において,理念−武士はマストの上などには登らない−が入ってきて,せっかくの船を十二分に運用できないというところは象徴的です。
 彼の世俗性は,乱世を征し,強大な権力機構を一代にして造り上げた,まさに「世俗の王」ともいえる家康と響き合うものがあったのでしょう。関ヶ原合戦の数ヶ月前というアダムスの漂着の時期は,彼にとっても,家康にとっても,まさにグッド・タイミングだったのだと思います。しかしそのことは逆に,家康の死にともなって,アダムスの「身の置き場」の喪失につながることです。独裁者に寵愛されたものは独裁者の退場にともなって姿を消す−歴史上,何度も繰り返されてきたこととはいえ,家康とアダムスとの関係は,それをもっとも端的に表しているのかもしれません。
 しかし,鎖国後の日本が,西洋との唯一のチャンネルとしてオランダを選んだことの直接的な契機を,アダムスがもたらしたことを考えると,彼の生涯は,単なる独裁者の「気まぐれ」が産んだ徒花ではなく,日本の歴史を変えた大きな意味を持っていたと評せましょう。

 ところで,アダムスの子孫がその後どうなったのかな,と思い,ネットで調べてみたら,それとは関係ないのですが,江戸時代のキリシタン弾圧のページを見つけました。そこには「スペイン宣教師に対するアダムスの中傷」によって弾圧が引き起こされた,といった一文があり,立場が変わると見方も変わるのだな,とつくづく思いました。

01/09/16読了

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