天童荒太『孤独の歌声』新潮文庫 1997年

 連続して発生する女性殺害事件とコンビニ強盗.ふたつの事件を追う刑事「わたし」,コンビニでアルバイトしながら,歌へ情熱を燃やす「おれ」,そして連続殺人犯の「彼」.コンビニ強盗事件をきっかけに交錯する3人の軌跡.そんななか「わたし」の友人・京子が誘拐された!そして「わたし」にも迫る殺人犯の魔手.3人の軌跡がふたたび交錯するとき,彼らが見たものは?

 今年の「インターネットで選ぶミステリー大賞」で,残念でならなかったのが,奥付の関係で『家族狩り』をエントリーできなかったことです.その作者が4年前,「日本推理サスペンス大賞」優秀作を受賞した作品を,さらに大幅に加筆訂正したものだそうです.ややミステリ色を持った『家族狩り』よりも,サスペンス性が前面に出ているような感じです.読んでいて,痛々しく,息が詰まるような人物造形は,『家族狩り』のテーマ,現代人の「家族」や「孤独」といったものと,相通ずるものがあります.

 ひとは一人きりで生きてはいけません.つねに家族や社会を含めて他者との関係が必要です.しかしその一方で,ひとは孤独です.死すべき存在として,自らの死を,何者にも肩代わりできないという点で,限りなく孤独です.だから,ひとは「他者との関係」と「孤独」の間でバランスを取ることで,生きていきます.もちろん,バランスの取り方は人によって違うでしょうし,生きた時代や環境にも左右されるでしょう.「わたし」は「他者との関係」と「孤独」の間の「針」をやや「孤独」寄りに傾けて生きている人物でしょうし,「おれ」もまた「孤独」の方へ大きく傾きつつ,その「孤独の歌声」によって,(本人の意図はともかく)かろうじて「他者との関係」をつなぎとめています.そして「赤松」や「河原崎」は,「孤独」よりも「他者との関係」の方へ大きく針を傾けている人々であり,おそらくマジョリティでしょう.しかし,ときとしてそのバランスがうまくとれない人々,どちらかに「針」が大きく振り切ってしまっている人々もいます.それが連続殺人犯「彼」なのでしょう.その「針」はけっして固定的なものではありません.つねに揺れ動き,「彼」と同様,なにかのきっかけで振り切れてしまう場合だってあります.おそらく現代という時代は,その「針」の揺れが,かつてないほど,不安定になっている時代なのではないでしょうか?

96/03/03読了

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