赤江瀑『霧ホテル』講談社 1997年

 12編をおさめた短編集です。最近,この作者の比較的初期の,京都を舞台にした作品を集めたアンソロジィ『風幻』『夢跡』(立風書房)を入手し,暇々に,懐かしい作品を読み拾っています。で,今回,新たに出たこの作品集を読むと,ずいぶんと文章の感触が変わったなあ,という感じです。濃密なほど馥郁たる文章でつづられる絢爛たる異界,というイメージが強かったのですが,この作品集から受ける印象は,むしろ「枯れた」雰囲気です。いやもちろん,だからといって,つまらないというわけではなく,そういった文体でつづられる魔的世界もまた,別の味わいのあるように思います。

「霧ホテル」
 人間国宝で地唄舞の第一人者・兵衛門と,大御所の舞台女優・祷子。ふたりは“西ノ関”という町のホテルで不思議な経験をし…
 単なる幽霊譚,といってしまえばそれまでですが,ホテルのロビーに霧が吹き込み,真っ白な「闇」の中に浮かび上がる太夫の幽霊というイメージは,妖しく,また華麗で,印象的です。
「隠れ川」
 日本画家・釵子は,かつて旧友・高住微妙の家に襖絵を描いた。いずれの襖絵も,白い紙に黒い筋のみが描かれていた。微妙の家を訪れた彼女は,30年ぶりに襖絵と再会する…
 微妙は襖絵の意味を「川」と理解していますが,ラストでその真の意味が明かされます。そのとき,言い知れぬ不気味さがじわじわとにじみ出てきます。「30年」という月日の長さもまた,その不気味さを増幅しています。本作品集では一番怖かったです。
「眠る劇場」
 第一級の演出家・劇作家であった東介は,突然,隠棲する。そんな彼をふたりの女が見守り…
 読んでいて,妙な違和感を感じるのです。と,じつは,登場人物の片方はすでに死んでいる。にも関わらず,生者のごとく振る舞い,生者の方も,死者をまるで生者のごとく扱う。そのアンバランスな感じが,なかなかいいです。結末はちょっともの足りませんが。
「宵宮の変」
 京都祇園祭,山鉾巡行の前夜,宵宮。それ夜以来,高秋の様子がおかしい。高秋の恋人・菊子から相談を受けた“わたし”は…
 菊子は本当に消えたのか?それとも単に高秋の歪んだ視界のみから消えたのか? ラストが,どこまでも曖昧で,着地点が見いだせない不安感があります。
「夢違え詣で」
 悪い夢を見たら,いい夢に変えてくれるという「夢違え観音」。祖母に連れられて以来,たびたび訪れた“わたし”は,久しぶりに訪ね…
 これもまた,最後で世界が反転し,それまで読んできたストーリーが崩壊するような,そんな感じの作品です。
「恭恭しき春」
 老作家・寧子は,3年がかりの長編小説を完結させる直前,かつて見た男性アイドルのヌード写真集に写る1枚の枕屏風を思い出し…
 「空を舞う男雛」というイメージが,鮮やかでいて,そしてもの哀しい雰囲気があります。
「桔梗色の火のけむり」
 かつてひとりの男を奪い合った女がふたり。その男の葬式で再会し…
 ふたりの女が,それぞれに語る男のイメージの食い違いがおもしろく,「そこらへんがメインなのかな」と思いきや,滑稽なくらい残酷なラストに,「ぎょっ」としました。
「闇の渡り」
 再開発によって埋め立てられた“渡り鳥たちの楽園”日濃美干拓地。そこで渡り鳥を見たという一通の葉書が…
 深い心の闇の中を渡っていく鳥たち,という発想が秀逸です。
「辛紅の眠り」
 かつての兄弟弟子で,自他ともにライバルと認める草木染の工匠・瀚一郎が死んだ。靖正は,彼の死んだ土地へ向かう…
 この作品も,結局,瀚一郎の自殺の理由が曖昧なままエンディングを迎えますが,それでも読者に,その「理由」を想像させるあたりが,なんとも巧いです。曖昧であるからこそ,不気味です。
「愛しき影よ」
 その男は,毎日のように宣彦のもとを訪れ,ただじっと彼を見つめる…
 この作者のショートショートを初めて読みました。落ちはありがちですが,そこまでの描写のねちっこさは,やはりこの作者らしいですね。
「星月夜の首」
 市場の花屋,咲き乱れる花の隙間に見えた長靴。久しぶりに故郷を訪れた和彦は,その奇妙な光景と,ひとりの少女のことを思い出す…
 「お兄ちゃんはね,ここに女の首を埋めているの。十も二十も……」という少女の独白にも似た,狂気じみた語りに,鬼気迫るものを感じます。そして淫靡なエロチシズムあふれるラスト。赤江作品らしいな,と思ったら,初出が比較的古い作品でした。
「龍の訪れ」
 妻の,思い詰めたような死に際の言葉に導かれるように,下関の弘接寺を訪れた英孝。その寺門の天井には,龍が眠っているという…
 「龍にとり憑かれている」という,一種の伝奇じみた設定そのものの不気味さもさることながら,それ以上に,「龍にとり憑かれている」と思い込んでいる,あるいは,そのように語らざるを得ない登場人物の,心の奥底の闇の在りようが,なんとも薄ら寒く,また哀しいです。

97/09/10

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