小林泰三『奇憶』祥伝社文庫 2000年

 八方ふさがりの「現在」から逃避するように,直人は過去の記憶をたどりはじめる。ところが,自分の「記憶」の中で,ふたつの月が夜空にかかっていることを,それを当たり前のことと自分が感じていたことを思いだし,愕然とする。「記憶」の中の「過去」と,「現在」とは本当に繋がっているのか? そして記憶の中からひとつの言葉が蘇る・・・「よもつしこめ」・・・

 自分が自分であるという根拠はいったいどこに求められるのでしょうか? たとえば他人の認知。友人や顔見知りから,「自分」であることを認めてくれる状況において,わたしたちは「自分」であることを確認できます。しかし,他者がいない状況においても,わたしたちは自分を自分と認識しています。その根拠といえば,「記憶」なのでしょう。現在の自分と過去の自分に関する記憶とが連続性,整合性を持っている場合,わたしたちは自分を自分と認識できます。ですから記憶とは,自分のアイデンティティを確認する上で,(すべてではないにしろ)重要な役割を果たしています。
 それゆえ,その記憶に「欠落(=不連続性)」があったり「ずれ(=不整合性)」があったとき,人はみずからのアイデンティティを揺るがされる不安感を覚えざるをえません(一番,卑近な例が,酔っぱらって記憶を失った間の自分の行動に対する戸惑いと恥ずかしさ,不安でしょう)。
 だからこそなのでしょう,人間の不安や恐怖が重要なモチーフとなるミステリやホラー作品において,「記憶もの」とわたしが呼んでいる,ひとつのパターンが,何度となく繰り返し取り上げられるのは。

 さて本編は,タイトルが「奇憶」となっていますように,「記憶」をめぐるホラー作品です。主人公の直人は,自分の記憶の中に,この世のものとは思えない「情景」が挿入されていることに気がつきます。それは夜空に浮かぶ「ふたつの月」であり,「ショゴス2号」と呼ばれる巨大な月が天空にかかる光景だったりします。この「記憶」は「夢の記憶」なのか,それとも「現実の記憶」なのか?
 もちろん「夢の記憶」であっては,「お話」になりません(笑)。では,その奇怪な記憶(=「奇憶」)はいったいなんなのか? なにを意味するのか? という風に,当然,物語は進行していきますが,その「真相」は,なかなかユニークなもので感心しました。それは,(ネタばれになるので詳しくは書きませんが)わたしたちが普段何気なく使っている「言い回し」を巧みに換骨奪胎しています。その「言い回し」の背後に横たわる不鮮明さ,不気味さを上手にすくい上げています。あるいは,その「言い回し」が日常的であるがゆえに,それとの「落差」を強調しているともいえましょう。さらに,そこにSFチックな(あるいはちょっとトンデモ系ともいえる)ネタを重ね合わせることで,想像力の翼を思いっきり広げています。

 それにしても,この主人公,思わず「うだうだ言ってないで,さっさと働かんかい! この怠惰な甘ちゃん!!」と,尻を蹴飛ばしたくなるような性格ですね(笑) でも,こういうキャラクタに設定することで,「現実」から「異界」への転回をスムーズにすることができたのでしょうね。「夢」の優越を示したラストは,どこか古いタイプの幻想小説を連想させるものがあります。

00/11/13読了

go back to "Novel's Room"