浅田次郎『きんぴか』飛天文庫 1997年

 「古くさいものばかり似合うんですよ。困ったものだ」(本書より)

 敵対する総長のタマをとって,13年ぶりに娑婆に出たピスケンこと阪口健太。湾岸派兵に反対して単身クーデタを試み,自決し損なった軍曹こと大河原勲。議員の収賄を肩代わりして挫折した議員秘書・広橋秀彦。元刑事,マムシの権左こと向井権左右衛門から,「ガキの頃から夢に見たことを片っ端からやってみろ!」とハッパをかけられた3人の“悪党”たちは…

 コメディ映画を見るような,軽快な作品です。それも,どこか「垢抜けない」部分がしっかり残る,日本のコメディ映画のような,そんな作品です。でも不思議なことに,その「垢抜けない部分」が,不器用で,時代遅れの主人公たちのキャラクタを巧く表現しているように思います。
 そう,「時代遅れ」が主人公たちをもっとも的確に表した表現かもしれません。汚いもの,醜いもの(しかし人間にはときとして不可欠なもの)を覆い隠す「きれいごと」と「ソフィストケート」を混同し,なんでもかんでも「単純化」することを「効率化」と勘違いする現代社会において,主人公たちは明らかに時代や社会と「ずれた」存在です。コメディの基本のひとつは,「ずれ」(ピントはずれの返答やワンテンポ遅れた行為など)にあると思いますが,この作品の場合,主人公たちの「ずれた」人物造形そのものが,作品全体にユーモア感,コメディ感を醸しだしているように思います。
 しかし,ものごとというのは,きっかりくっきり重なり合っているときより,すこし「ずれ」を持っていた方が見えやすい場合が,ままあります。ちょうど,真っ正面から見れば単なる「四角」にしか見えないものが,斜めから見れば「箱」だとわかるように…
 「ずれた」主人公たちを通じて,たとえば任侠を忘れたヤクザ,平和理念をないがしろにする自衛隊,私利私欲に走る官僚・政治家たちの姿が見えてきます。さらにもっと突っ込めば,任侠なんてヤクザの都合のいいフィクションでしかないのではないか? 日本国憲法と自衛隊が折り合えるのか? 私利私欲に走らない官僚・政治家は古今東西いたのか? といったところまで見え隠れしているように思えます。作者の意図はわかりませんが,そんな風刺的な側面も,この作品は持っているように思われます。

 さて,3人の悪党たちが,法律の目を逃れて悪事にひたる連中を懲らしめていく,といった感じのストーリィなのですが,最後のエピソードを読んで,「え? これで終わりなの?」といった中途半端なエンディングです。「もの足りないなぁ」と思っていたら,どうやら続編があるようです。ぜひぜひ早く文庫化してもらいたいものです。いまだったら絶対売れまっせぇ,飛天出版さん(笑)。

98/01/17読了

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