小松左京『牙の時代』角川文庫 1975年

 6編を収録した短編集です。この作家さんの作品を読むのは,じつに久しぶりです。といっても本書の発刊は四半世紀前。古本屋で見つけました。角川文庫の表紙がまだベージュ色,カヴァは生頼範義,解説は中井英夫。なんだかそれだけでも「時代」を感じてしまいます。

「毒蛇」
 “おれ”は“やつ”を殺すために,砂漠を彷徨う。みずからの内に溜め込んだ“毒”を武器にして…
 投げやりに口調をベースにした文体,繰り返される暴力的なシーン・・・ある種のメタファを思わせるストーリィ展開ですが,一転,SFとしての作品の姿を現すところは,思わず「ほほう・・」と溜め息が出ました。そしてそれ自体がメタファとなっているのかもしれません。
「BS6005に何が起こったのか」
 平和な村,緑の岡,おだやかに楽しむ再生者(リヴァイヴァー)たち。だが,そこに“妖怪”がうろつきはじめ…
 前作もそうなのですが,前半,不条理とも言える謎めいたストーリィを展開させ,後半にいたって,それらの「謎」を二転三転させながら,SF的な「解決」「着地点」へと導いていくところは,すぐれてミステリ的な筋運びと言えましょう。「アウタ・スペース」なのか,「インナ・スペース」なのか,どちらに着地するのか,というクライマックスがスリリングです。
「牙の時代」
 釣に行った“私”は,釣ったヤマメに“襲われる”。しかし,それだけではなかった。今,地球上のあらゆる動物が凶暴化しはじめていた…
 う〜む・・・もったいない,というの第一印象です。ネタ的には,かなり大風呂敷を広げられそうなので,いろいろなエピソードを積み重ねた長編にできるのではないでしょうか?(もっとも,この作品が発表された頃のSFは,あまり待遇がよくなかったでしょうからねぇ・・・)。「キレル」「ムカつく」など,汚い表現が日常会話で当たり前のように用いられ,あまりに安易な理由での殺人が頻発する現代は,まさに「牙の時代」なのかもしれません。そう考えると,薄ら寒いものを感じる作品です。
「サマジイ革命」
 サイボーグ化手術の発達により,老人は死ななくなった。そんな時代の養老院で…
 スラプスティク,というよりも,まさに「ハチャメチャ」という評言が一番似合いそうな作品です。SF仲間をパロディにした内容は,ある意味,牧歌的な時代の作品といえないこともありませんが,こういった「同人誌趣味」には,ちょっと馴染めないところがあります。
「ト・ディオティ」
 これは普遍的な生活の描写である―あなたの日常はこんなものだ。
 わたしたちの「日常生活」を支えているものとはいったいなんなのでしょう? 手に触れることのできる,なんらかの「実態」なのでしょうか? それとも人の心の中にだけにある「記憶」なのでしょうか? もしかすると,「実態」や「記憶」が,触るそばから崩れ去っていったとしても,人は「日常」を送ることができるのかもしれません。だとすれば,そんな「日常」を送るわたしたちとはいったい?
「小説を書くという事は」
 ストーリィを紹介できない,一種の「実験小説」とでも言えましょうか。試みとしてはおもしろいのかもしれませんが,「ストーリィ志向」「物語志向」の強い読者であるわたしとしては,やはりしんどいです^^;;

00/02/23読了

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