池波正太郎『剣客商売 待ち伏せ』新潮文庫 1993年

 このシリーズでは,さまざまな「剣客」たちの矜持と悲哀を描いていますが,この巻は,とくにその色合いが強いエピソードが多いように思います。

 たとえば「秘密」。娘に悪さをする無頼浪人をこらしめた秋山大治郎,彼の太刀さばきを見たひとりの武士が,大治郎に「ある男を斬ってくれ」と依頼します。ところがその相手は大治郎の知り合い。依頼した武士も,斬る相手も,どちらも大治郎から見れば人品卑しからぬ人物。はたしてふたりの間にはどのような因縁があるのか・・・というストーリィ。いったいふたりの武士の間になにがあったのか? という謎めいたストーリィが魅力的です。ラストで明らかになるふたりの武士をめぐる「秘密」は,「武士」であることと「家臣」であることの狭間で苦悩し,互いに殺し合わねばならない者たちの哀しい姿を浮き彫りにします。
 また「討たれ庄三郎」は,秋山小兵衛のもとを訪れたひとりの老剣客・黒田庄三郎,彼は,小兵衛に果たし合いの立ち会いを頼みます,しかし,彼は最初から討たれることを覚悟している様子・・・というエピソードです。クライマックスの場面での,関万之助(黒田の相手)の「やめてくれ,やめろ! やめろ!!」のセリフには,両者の因縁の不可思議さと相まって,「果たし合い」「敵討ち」が持つ,どうしようもないせつなさとやりきれなさが溢れています。
 「剣の命脈」は,ひとりの剣客の死に際の深い想いとその顛末を描いています。不治の病にとりつかれた瀕死の剣客・志村又四郎は,死ぬ前に,秋山大治郎との真剣勝負を熱望します。しかし運命はふたりを巡り合わせず,志村は大治郎に,みずからの剣を形見として残すことしかできません。その最後の望みさえも,「お家」のメンツを大事にする彼の父親によって妨げられてしまいます。死ぬまで,あるいは死ぬ間際であるからこそ,「剣客」であろうとする志村の想いを,理解することもなく,握りつぶそうとする「武家の論理」。ここでいう「武家」とは,かつての「武士」ではありません。平和な時代に生きる「武士ならざる武家」の論理です。そんな時代において「剣客であること」「剣客であり続けること」の困難さ,孤独を鮮やかに巧みに描き出しているエピソードです。

 本書でもうひとつ楽しめたのが「小さな茄子二つ」です。小兵衛の不肖の弟子落合孫六が,博打好きの義弟のために借りた百両を盗まれた,孫六に泣きつかれた小兵衛は,事件の背後に怪しいものを感じ取り・・・というお話。現金強奪をめぐるミステリアスな展開,チャンバラ活劇的な小兵衛の活躍に加え,小兵衛と“犯人”との奇妙な因縁・・・。長い時を隔ててのふたりの再会は,皮肉といってしまうにはあまりに哀しいものです。扇子に描かれた「小さな茄子二つ」,それはともに野心に燃えていた若き日の小兵衛と“犯人”の姿なのかもしれません。

99/02/15読了

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