池波正太郎『剣客商売 波紋』新潮文庫 1995年

 いつもより,ちょっとばかし長めの作品5編をおさめています。ミステリ色,サスペンス色にあふれた緊迫感のあるエピソードが多く,ミステリ好きのわたしとしては,楽しめた1冊でした。

「消えた女」
 友人宅からの帰途,秋山小兵衛は,張り込み中の傘徳に出逢う。そしてそこで,かつて小兵衛の元から去った女によく似た娘を見かけ…
 言うまでもなく,このシリーズは時代小説であり,このエピソードも当然そうなのですが,犯人を捕らえるため忍耐強く張り込む捜査官,捜査官と犯人関係者との奇妙な因縁,犯人側での裏切りと企み…なぜか,翻訳物の警察ミステリを読んでいるようなテイストを感じました。ところで,末尾に「編集部注」として,「この作品は時間の前後関係に多少のズレがありますが,原作通りとしました」という一文。やはり,シリーズも長くなると,多少の混乱が生じるようですね。
「波紋」
 秋山大治郎が謎の刺客に襲撃された。一方,桶屋の七助は,間男と女房と殺して,腹違いの弟の元に逃げ込み…
 このシリーズでは,多種多彩な「奇縁」とも呼べそうな人間関係を描いており,多少「できすぎ」と思えるところもないわけではありません。この作品も,十重二十重に絡み合ったキャラクタ同士の因縁を描き出しているものの,構成の巧さからでしょうか,それほど不自然さが感じられませんでした。なによりラスト・シーン。けして明示はされていませんが,繁蔵の母親を思わせる老婆を出すところは,ここに極まれり,といったところですが,そこで,繁蔵に「顔を上げることができなかった」とするところは,じつに余情あふれるエンディングですね。
「剣士変貌」
 腕も立ち,人望もある剣客・横堀喜平次の運命は,道場を開いたことから狂いはじめ…
 う〜む…つねづね「自分はナンバー2体質ではないだろうか?」という想いの払拭しきれないわたしにとって,この作品の横堀喜平次のたどった成り行きは,なにやら他人事とは思えませんねぇ^^;; 人間,やはり自分の力量,役回りを知ることが,大事なんでしょうね(笑)
「敵」
 金十両で「悪い侍」を打ちのめした中沢春蔵。しかし,翌朝,その侍が殺されたこと,さらに友人である大治郎の知り合いであったことを知った彼は愕然とする…
 打ちのめしただけのはずの相手が,翌朝,胸を刺され死体で発見されるという,ミステリアスなオープンはいいですね。さらに加えて,自分を陥れた平吉を探す中沢春蔵,彼の不審な態度に疑いを抱き,春蔵を尾行する小兵衛一行,といったフーガのごときサスペンスフルな展開が楽しめます。
「夕紅大川橋」
 小兵衛の,かけがえのない同門の親友・内山文太老人が失踪した。おまけに岡場所の女が同行しているという。彼はいったい何処へ…
 ここ何冊かで描かれてきた,「老い」に直面する秋山小兵衛の姿を真っ正面から取り上げた作品です。耄碌し,子どものごとく泣きじゃくる内山文太の姿は,小兵衛にとって,まさに「近い将来の自分」を見る想いがするのでしょう。そして彼の突然の死は,小兵衛を打ちのめします。ラストでの絶望的なまでに苛立つ小兵衛の姿は,あまりに痛々しいです。しかし,それは誰にとっても待ち受けている「宿命」なのかもしれません。

98/08/04読了

go back to "Novel's Room"