久間十義『刑事たちの夏』幻冬舎文庫 2000年

 汚職事件のたびに名前が出る大蔵省のエリート官僚が,新宿の繁華街で墜死した。自殺なのか,他殺なのか? 警視庁捜査一課の松浦洋右は,他殺の疑いがきわめて濃いことを示す証拠をつかむが,上層部の官僚同士の裏取引により,自殺として事件は闇に葬り去られそうになる。しかし,うだるような暑さの中,刑事たちの戦いは続けられる・・・

 「すべての権力は腐敗する」−一連の大蔵官僚の汚職,警察の組織ぐるみの不祥事,政・財・官を巻き込んだ権益・利権の争奪戦・・・近年の報道を見ていると(そこに,ある特定の意図を背景としたキャンペーン的な色合いも感じられないでもありませんが),この,19世紀の思想家ジョン・アクトンの言葉には,時代を超えた「真理」が宿っているように思えてきます。

 本編は,大蔵省のキャリア官僚の不可解な死を発端として,そんな腐敗した権力システムに戦いを挑む刑事たちの姿を,リアルに,そしてダイナミックに描いています(そのリアルさを保証しているのが,上に書いたような,バブル経済崩壊後に噴出した数々のスキャンダルなのでしょう)。そのために,作者は,事件をめぐってさまざまなキャラクタを配します。警視庁捜査一課の松浦洋右や,東京地検の検事古沢美由紀「鉄腕アカマツ」こと淀橋署生活課赤松隆一郎毎朝新聞の記者近藤,引退した元刑事大和田「スッポンの音松」と呼ばれる老練な刑事戸田,警察官僚と結びついて甘い汁を吸う羽田管理官上林淀橋署署長,政治ブローカ佐々岡などなど,「これ誰だったけ?」と思ってしまうくらい多種彩々な人物を登場させ,「権力の犯罪」を追う側,追われる側,事件を隠蔽しようとする側,権力抗争に利用しようとする側それぞれの視点から事件とその背景を語らせていきます。
 つまり,大がかりで複雑に絡み合ったな政治的・組織的な犯罪を,彼らの回想やエピソードとして描き出すことで,この手の作品が陥りがちな「説明的な描写」を巧みに回避し,ストーリィにリズム感を与え,よどみなく物語を展開させています。さらに,主人公たちにかかる有形無形の圧力や,それに対抗するための駆け引きや騙し合いをねちっこく描きながらも,ところどころにけれん味たっぷりのアクション・シーンなどを挿入することで,ストーリィにメリハリをつける工夫もされています。
 また主人公が迎える結末については,もしかするといろいろな見方があるかもしれませんが,わたしが思うに,主人公をリアルであるとともにヒロイックに描こうとしたがゆえの結末だったのではないかと思います。あらゆる権力が腐敗するのと同様,権力に対する戦いは,それがたとえ「正義」の戦いであったとしても,権力抗争に堕する危険性をつねに秘めています。それゆえ,作者は主人公にこのような結末を与えることによって,彼の戦いが権力抗争−たとえば行政改革をめぐる政府と大蔵省との確執など−とは性格が違うことを印象づけることで,幕引きさせたようにも思えます。

 ただ難を言えば,表現に繰り返しが目立ち,また重厚な内容にマッチしない文章も随所に見られ,興を殺いでいます。この作者,もともと純文学畑出身の方のようですが,それにしては文章に対する目配りがいまひとつのようですね。それと,上に書いたように数多くのキャラクタを出すことで,事件が持つ多面的な「貌」をあぶり出すことに成功しながらも,それぞれのキャラクタについて,あまり意味のない描写がある一方,キャラクタの行く末が,どこか尻切れトンボになってしまっているところもあり,ややアンバランスな印象も受けます。エンタテインメントに徹しきれなかったのでしょうか?

00/08/14読了

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