坂東眞砂子『葛橋』角川文庫 2001年

 「人生,誰にとっても不公平であり,不公平であるがゆえに公平なのだ」(本書「恵比須」より)

 3編を収録しています。それにしても,最近はこの程度のヴォリューム(文庫版70〜100ページ前後)を「中編」と呼ぶのでしょうか? わたしの感覚としては短編なのですが・・・

「一本樒」
 暴力的な夫から逃げてきた妹が,“私”たち夫婦と同居することになった…
 ストーリィ展開と着地点は,途中でおおよそ見当がつきますが,この作品の魅力は,むしろ,そこに至るまでの日常的なトリヴィアルな描写の積み重ねが生み出す,圧迫感さえ感じるような濃密さにあるのではないでしょうか。それは,この作品だけでなく,他の2編にも共通することで,とくに高知地方の言葉と思われる方言を多用し,その,関西系の方言にも通じるような,ちょっと間延びした語り口が,各編ののったりとした粘液質な雰囲気を高めています。

「恵比須」
 “私”が浜辺で拾った奇妙なものは,家族に思わぬ幸運をもたらしてくれると期待され…
 主人公が拾った「モノ」に対する過剰な期待と,しだいにそれが持つ本当の価値が明らかにされる過程に,主人公の家族に対する微妙な感情の揺らぎを巧みに重ね合わせています。浜辺への漂着物「恵比須」が幸運を呼ぶというメイン・モチーフを,アイロニカルな結末へと導いていく展開も上手いですね。

「葛橋」
 証券会社に勤める“私”は,妻の死を忘れられぬまま,故郷に戻るが…
 本編で触れられている『古事記』に出てくる「イザナギの地下他界行」は,人の世が「生」と「死」とに分割されていることを示す神話ではないかと思います。イザナギはイザナミを地下に封じることで,「生」と「死」とを分かちます。しかしそのきっかけとなったのは,イザナギが,イザナミの「振り向いては行けない」という警告を破ったことです。死者であるイザナミにはなんら落ち度はありません。にもかかわらず,イザナミは永遠に死の世界に封じ込められ,イザナギはそれを「穢れ」として禊ぎし,振り払ってしまいます。そんなイザナミの(女の)イザナギの(男の)理不尽さ−それは主人公の妻に対する態度や考え,篤子に対する身勝手な思いこみとも重なり合います−に対する怒りと怨みの発現を,「死」と「性=生」という相反しながらも,どこか相似たイメージを混じり合わせることで描いているように思われます。

01/02/18読了

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