若竹七海『火天風神』新潮文庫 2000年

 三浦半島の南端,断崖絶壁の上に建つリゾート・マンション“しらぬいハウス”は,観測史上最大の台風19号の上陸によって孤立した。閉じこめられた客たちは,しだいに不安を募らせていく。しかし彼らを待ち受けていた災難はそれだけではなかった。狂気と炎がゆっくりと彼らを内側から追いつめはじめたのだ・・・

 この作者は,人間の心の奥底や日常生活の裏側に潜む悪意や狂気,たとえそこまでいかなくてもエゴイズムや弱さといったものを,けして大上段に構えることなく,さりげなく,それでいて鋭く描き出すという作風を持っています。ですから本編のような「パニック小説」の場合,その力量が十二分に発揮されるのではないでしょうか?

 というのは,「パニック小説」は通常,ふたつの側面から成り立っているからです。ひとつは,自然の営力によるにしろ,人為的な原因によるにしろ,主人公たちを襲いかかる巨大な災難です。大地震であったり,高層ビルの大火災であったり,致死性の高い伝染病の蔓延であったりします。それらは,人々の日常生活を根底から覆し,苦難に満ちた非日常的な異界へと主人公たちを投げ込みます。
 本編で描かれる巨大台風は,日本人にとって,馴染んだものであるとともに,なおかつ異界性を持った災難として,なかなかツボを心得た選択と言えましょう。台風は,甚大な被害をもたらすことが多々あるにもかかわらず,日本列島に住んでいる限り,毎夏,毎秋にやってくるという点で「風物詩」的な色彩も持っています。本編の登場人物たちも,当初,台風のエネルギィに瞠目しながらも,どこかのんびりとした態度で台風を迎えています。その暢気さが,彼らの命をひとりまたひとりと奪っていくところは,ストーリィの展開としてじつにリアルに感じられます(わたしも「台風見物」をした子どものひとりだったものですから^^;;)。

 さて「パニック小説」のもうひとつの側面とは,そんな災難に巻き込まれたキャラクタたちが織りなす人間ドラマといった面です。どんな大地震であろうと,巨大台風であろうと,そこに人間がいなければ,「大自然の驚異」とはなっても,「パニック小説」にはなりません。非日常的な異界の中で,人間は,普段は滅多に見せることのない,さまざまな「貌」をのぞかせます。それはいやらしさであったり,怯懦であったり,慈悲心であったり,勇気であったりします。それらがぶつかり合うことで,ときに思わぬ困難が主人公たちの前に立ちふさがり,ときにそれを突破する道を与えてくれます。その緊張感がパニック小説の醍醐味のひとつでしょう。そして,冒頭に書きましたこの作者の「本領」は,まさにこの場面において発揮されます。
 作者は,台風や火災といった災害の進行を描くのと並行させながら,一癖も二癖もあるキャラクタ群の行動や心理を,それこそスティーヴン・キングばりにじっとりと浮き彫りにしていきます。登校拒否の中学生・,1年ばかりタイに住んで帰国した,浮き世離れしたところもある健次,夫とケンカして家を飛び出してきた主婦翔子,不倫カップルの平石たまき,聴力障害者の摩矢,一筋縄ではいかない興信所調査員竹丸,合宿で宿泊している大学の映画研究会の面々,そして,鬱屈した狂気を徐々に育てていく管理人の杉田・・・作者は,彼らの悪意や狂気,臆病さや嫉妬心,焦慮を,台風プラス火災という非日常に投げ込むことで,その確執と衝突,すれ違いをグロテスクなまでに描き出しています。その描写は,もう「こいつ,いっぺん絞めたろか!」と思わずにいられないほどの巧みさです(笑)。
 またこの作者らしいトリックが仕掛けられているところも,楽しめます。

 キャラクタ設定がやや類型的な感が残りますが,自然災害×人災×人間の狂気という組み合わせからなるオーソドックスなパニック小説として,一気に読み通させる作品だと思います。

00/05/14読了

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