デイヴィス・グラップ『狩人の夜』創元推理文庫 2002年

 「主は人殺しなどなんとも思ってはいない。その証拠に,聖書には人殺しの話が山ほど出てくるではないか」(本書 パウエルのセリフより)

 大恐慌下の1930年代アメリカ。強盗殺人犯ベンは,奪った1万ドルの行方を口にしないまま,死刑台の露と消えた。刑務所でベンと同房であった伝道師パウエルは,その金を探し出すため,出所後,残されたベンの一家に接近する。彼のソフトな物腰に心を寄せる未亡人ウィラだが,パウエルは,かつて何人もの女性を殺したサイコ・キラーだった…

 文庫帯の「宮部みゆきオールタイムベストの一冊」や,「内容紹介」の「サイコ・サスペンスの金字塔」なる文句に惹かれて購入,読んだのですが,サスペンスとしては,う〜む,いまひとつのれませんでしたね。
 ベンが残した1万ドルを狙って,ベンの家族−未亡人ウィラと息子ジョン,娘パール−へ,“伝道師”パウエルが接近していきます。「伝道師」という社会的身分と,穏やかでソフトな語り口,物腰のため,周囲の大人たちやパールは,彼にだまされますが,ジョンだけは,パウエルの瞳の中に酷薄な「光」を見出し,容易になつこうとしません。そんな中で,ジョンは「悪い子」として孤立していきます。つまり「大人の無理解」の中で,しだいしだいに追いつめられていくジョン,そして迫りくるパウエルの魔手,「ジョンとパールはパウエルから逃れることができるのか? 1万ドルはどうなるのか?」と,まさにサスペンスの王道といった感じでストーリィを引っ張っていきます。
 そのあたりは,けっこうおもしろく読めたんですよね。とくにウィラを雇っていた店の主人ウォルトのパウエルに対する曖昧な疑惑,あるいは社会的なアウトサイダーながら,ジョンに対して「男の友情」を持つバーディ老人が登場し,展開次第では重要なキャラクタとなりそうな予感を与えます。
 ところが,彼らの疑惑がストーリィ展開に組み込まれてこそ,後半の展開への有効な「伏線」になるにもかかわらず,それが活かされていません。読者はすでにパウエルの「正体」を知っているわけですから,彼らの疑惑がほのめかされるだけであれば,ストーリィには何の影響も与えることはありません。その結果,後半に登場するレイチェルの存在−ストーリィの主軸となり,事件解決へと重要な役割を果たす彼女の存在は,前半の展開とは切り離されてしまい,「浮いた」印象を与えてしまっているように思います。レイチェルのキャラクタが魅力的だけに,ストーリィとの乖離は残念ですね。

 ただ本編を「子どもの物語」として読むと,深い味わいがありますね。そこらへん,子どもの描き方には定評のある宮部みゆきが推していることも納得できます。
 子どもにとって選べない「親」や地域社会,ジョンはそれらすべてに裏切られます。母親は狂信していき,地域社会の人々はパウエルに騙されてしまい,ジョンを攻撃します。またベンとの約束−1万ドルの行方を口にせず,また妹のパールを命がけで守る−も,ジョンは必死に守ろうとしますが,それは11歳の少年にとって背負いきれない「呪縛」でしかありません。ジョンの健気な姿に隠されていたストレスは,ラスト,あまりにむごいモノローグで明らかにされます。すべてを「夢」として押しやらない限り,生きていくことのできないほどに「壊れた」心をジョンに植え付けたのは,まさに彼が選ぶことのできなかった「親」であり「地域社会」なのではないかと思います(終盤,パウエルの正体を知ったアイスィが激昂する理由が,ジョンやパールに対する虐待ではなく,もっぱら自分の信仰を蔑ろにされたゆえである点は,そのことを象徴しているように思います)。
 そういった意味で,ジョンたちを救ったのが,「親」でも「地域社会」でもなく,偶然,彼らを引き取ったレイチェルである点は,「救い」であるとともに,その一方で,1930年代のアメリカが抱えていた「絶望」でもあるように思います。子どもを真っ先に守るべき「親」も「地域社会」も崩壊し,個人的な善意によってしか子どもが救われない社会−それはけっして安定した健全な社会とは言えないでしょう。そしてそれが,70年以上も前に「消え去ってしまった状況」と思えないところが,なんとも悲しいですね。

02/12/31読了

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