はやみねかおる『機巧館(からくりやかた)のかぞえ唄』講談社青い鳥文庫 1998年

 推理小説界の大御所・平井龍太郎のデビュウ50周年記念のパーティに招かれた夢水清志郎&岩崎三姉妹。平井の住む西洋館“機巧館(からくりやかた)”で開かれたパーティの席上,突如悲鳴が! そして密室から平井龍太郎が消失した! いったいどのようにして? そして平井が執筆中だったという最後の作品『夢の中の失楽』とは? 夢水が霧の中を彷徨うにしてたどり着いた驚愕の真相!

 「名探偵夢水清志郎事件ノート」の第6作は,「おいおい,これほんとにジュヴナイル?」と思わせるような作品です。
 ミステリ・ファンの方だったら,平井龍太郎の最後の作品『夢の中の失楽』のタイトルを見て,「にやり」とされるのではないかと思います。本編(?)のオープニング・シーンなんかも,まさに「あの作品」―現実と虚構が錯綜し,混迷する「あの作品」―によく似た情景が描かれています。また冒頭に挿入されるエピソードが,一見本編と関係なさそうでいて,じつは深いところでリンクしているというのがこのシリーズの特徴のひとつのようですので,そういった眼で見ると「第I部 怪談」のエピソードから,本作品の「性格」を推測できるのではないかと思います。
 で,実際そのように展開していき,こちらとしても「来たぞ,来たぞ」という感じで予想できる部分はあったのですが,「第II部 夢の中の失楽」のラストで明かされる真相は,正直,驚かされました。それまでの展開から,当然ここまで押し進められる可能性がないわけではなかったのですが,やはり「ジュヴナイルだから」と高をくくっていた部分が,わたしの中にあったのかもしれません(反省)。すべてが崩壊していくカタストロフなラスト,麻○雄○か竹○健○の作品を彷彿させる,メタ・フィクショナルなエンディング。う〜む,このシリーズが読書対象としている「小学上級から」の読者たちの感想を聞いてみたい。

 ところで,この作品には最後の最後に「第III部 さよなら天使(エンゼル)」というエピソードが収録されています。ある日,昼寝していた夢水の脇になぜか赤ん坊が・・・。夢水は「誘拐事件だ!」と主張するのだが・・・,というお話。
 もちろんまったく独立したエピソードとして読むこともできるのですが,あえて本書全体の中で位置づけようとするなら・・・・(以下,まったくの妄想とお考えください)。
 「夢の中の失楽」の中で用いられているトリックのひとつは,ある著名な作品のトリックを現代風にアレンジしたものといえます。たしかにすぐれたトリックではあるのでしょうが,「児童文学出身の作者」にとっては,大人たちの歪んだ思惑や欲望によって弄ばれる子どもを描いた作品として,あまりに後味の悪い作品だったのかもしれません。ですから,大人たちに翻弄されながらも,夢水の推理と機転によって,そこから救い出される子どもの姿を描くことで,この作品に用いられているトリック―ひいては著名な作品に用いられているトリック―が持つ「毒」に対する,一種の「解毒剤」的な意味をこのエピソードに与えたのではないでしょうか?

98/08/16読了

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