宮部みゆき『堪忍箱』新潮文庫 2001年
「人間はみんな,こんなふうに隠し事をして生きているものなのだろうか。だから,急に死んでしまうと,そういう秘密が全部明るみに出て,まるで,生きていたことそのものが大きな謀りごとだったみたいに見えてくるのだろうか」(本書「謀りごと」より)
8編を収録した時代小説集です。
「堪忍箱」
火災で家を失った近江屋のお駒の手元に残されたのは,代々伝わる“堪忍箱”だった…
「堪忍箱」に入っていたもの・・・それはおそらく,箱を持つ人々の心のありようによって,違っていたのかもしれません。14歳という年齢で,「近江屋」という看板と,それに纏わる怨みと疑念を引き受けねばならなかったお駒にとって,その箱の「中身」を我が身とともに滅ぼすことしかできなかったのかもしれません。
「かどわかし」
大店の幼い総領息子から,自分をかどわかしてほしいと頼まれた箕吉は…
「禍福はあざなえる縄のごとし」という俗諺があります。本来は「いいときもあれば悪いときもある」ということなのでしょうが,ときに両者は背中合わせの存在であることをも示しているのかもしれません。箕吉の機転によって,吉とも凶とも言える結果がもたらされたこと・・・似たようなことは,世の中にけっこうあるのではないでしょうか?
「敵持ち」
いわれのない恨みを買った男は,長屋の浪人に用心棒を依頼するが…
前作「かどわかし」と同様,ある人物にとっての「吉」が,別の人物にとって「凶」となる,そんな皮肉な巡り合わせを描いています。しかし,ラストで,その「凶」がいつの日か「吉」に変わるであろう希望がほのめかされている点,清々しいエンディングといえましょう。武士の最後のセリフ−「小坂井様の傘か」がいいですね。
「十六夜髑髏」
ふきが奉公に上がった小原屋には,奇怪な言い伝えがあり…
炎に包まれた店,静かに店の者たちを照らし出す十六夜,すべてを投げ出すように佇む主人…とにかく,凄絶でありながら,どこか「シン」としたラスト・シーンが妖しく美しいです。
「墓の下まで」
ゆきの前に,15年前に彼女を捨てた母親が姿を現し…
人は誰でも,人には言えない秘密のひとつやふたつ抱え込んでいるものなのでしょう。ときにはそれに目をつむり,ときにはそれをも含めて愛することで,人と人とのより深い結びつきが生まれるのかもしれません。
「謀りごと」
長屋の差配が,死体で発見されたことから…
ひとりの老人の死を契機として明らかになる,その人物のさまざまな「貌」……ある意味,前作「墓の下まで」の同一モチーフの別ヴァージョンとも言える作品でしょう。最後に描かれる「先生」のエピソードは,多様な「貌」を持っているのは,なにも死んだ差配だけではないということを示唆していると思います。
「てんびんばかり」
玉の輿に乗った幼なじみに,お吉は複雑な想いを胸に宿し…
「建前」と「本音」というとき,前者に比べ後者を「良し」とする風潮があります。しかし,主人公の「大人の選択」は,友人を愛すればこそのものなのでしょう。「建前」もけっして捨てたものではありません。
「砂村新田」
砂村新田の庄屋の家に通い奉公するお春は,道すがら,ひとりの男と出会う…
貧しい家計を支えるために奉公に上がる際の不安と,「自分はもう大人なんだ」という決心との間で揺れ動く幼い少女の心の揺れ動きを描きながら,彼女が,母親の「女としての過去」と奇妙な縁で巡り会うことで,より着実な成長の一歩を踏み出す姿を見事に切り取ってみせています。本集中,一番楽しめました。
01/11/12読了
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