夢枕獏『歓喜月の孔雀舞(パヴァーヌ)』新潮文庫 1990年

 7編よりなる短編集です。夢枕獏というと「サイコダイバー・シリーズ」に代表されるような「エロス&ヴァイオレンス」というイメージが強いですが,その一方で,彼の描く短編には,それだけではとうてい収まりきらない,多彩な内容があります。あるときはリリシズムに満ち,あるときは底知れぬ恐怖を描き,あるときは透明感にあふれ,そしてまたあるときは幻想味豊かな作品群です。「サイコダイバー・シリーズ」のような作品もけっして嫌いではありませんが,そういった短編集も,わたしのお気に入りのひとつです。この作品集でも,そのいろいろな顔を見せてくれてます。

「ころぽっくりの鬼」
 ある日「ぼく」は,少女の肩の上で正座する裸の女の人形を見る。人形は,腕を少女の首に回し,少女の白い喉の横に,しっかり唇を押しあてていた。少女は翌日死んだ…
 この作者は,作品の中で擬音を多用しますが,この作品に出てくる“ぢょきり”はとても怖いです。
「微笑」
 5年ぶりに再開した姉は,美しい女性に成長していた。「ぼく」がこんなに姉さんのことが好きなのに,どうして姉さんはぼくに笑いかけてくれないの。だったらぼくが姉さんに「微笑」をプレゼントしてあげるよ…
 「思春期」という,名前ばかりがきれいな泥沼のような季節の少年の鬱屈した思いややりきれなさ,そして物狂おしさ,といったものを作者はよく取り上げます。これは,それが狂気への斜面を滑り落ちてしまった話。
「優しい針」
 8年ぶりに再開した少女と少年。ふたりが共有する淫靡で秘められた想い出。彼女はふたたびその想い出を復活させようとするのだが…
 以前,どこかで読んだことのある「エロスと恐怖は双子の姉妹」という言葉を思い出しました。多少,先端恐怖症の気味のあるわたしにとっては,生理的にとてつもなく恐ろしい物語です。
「蛇淫」
 かつて刺青師の娘と駆け落ちして,戻ってきた男の肌には,男の心臓を喰らおうと鎌首をもたげる蛇の刺青が施されていた。男は,蛇から身を守るため,孔雀の刺青を彫るのだが…
 オーソドックスな怪談です。刺青の蛇が徐々に肌の上を移動し,心臓へと近寄っていく様を想像すると,とても不気味です。
「髑髏盃(カパーラ)」
 エッセイ風の作品です。ヒマラヤを越える鶴を見に行った作者(?)は,猛吹雪に襲われます。それは麓の村で買った「カパーラ」のせいなのか? ヒマラヤのような天と地が溶け合い,生と死が隣り合わせの世界では,下界での「合理」なんてのは,ちゃんちゃらおかしいものなのかもしれません。
「檜垣ー闇法師ー」
 山中の寺に出没する妖かし。桜闇で人を惑わし,殺した人から眼球を吸い取るという。寺を訪れた盲目の法師の琵琶の音に惹かれた妖かしは…
 桜の花というのは坂口安吾や梶井基次郎の作品をひくまでもなく,どこか人を惑わす力を持っているようです。この作品は,ストーリーよりも,この作者お得意の「文字による映像美」を楽しむ作品ではないでしょうか。
「歓喜月の孔雀舞」
 ネパールで出会った女性,彼女に恋した男。彼女の死後,彼女の故郷を訪れた村で,男が見たものは「呪(しゅ)」に縛られた男女の哀しい姿だった。しかし取り残された男の哀しみはもっと深いのかもしれない…
 のちに『上弦の月を喰べる獅子』に結晶する,宮沢賢治,月,そして螺旋の物語です。ヒマラヤと北上山系,ともに5億年前の地質の層ででき,ともにアンモナイトの化石を包含していることが,なにやら神秘めいた雰囲気を醸し出しています。満月の光のなかで踊りながら「常世」へ向かう男女の姿は,透明感あふれ,またもの悲しく,やるせない美しい情景です。また滅びざるをえなかった「閉じた螺旋」を持つアンモナイトは,「呪」に縛られ,どこにも行けない女と男の象徴なのかもしれません。

97/04/01読了

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