船戸与一『蟹喰い猿フーガ』徳間文庫 1999年

 「人生のうちで重要なことはほとんどないに等しいんだ。何が起こったって,べつにおたつくことはねえやね」(本書より)

 湾岸戦争勝利で湧くアメリカの田舎町フェニックスで“おれ”は,詐欺師エル・ドゥロにはじめて出逢った。試合中に相手を死なせてしまったことに拘泥する元ボクサの“おれ”の人生が変わったのはそれからだった。「蟹喰い猿フーガ」の陽気なリズムに乗って,今,新しい冒険が始まる・・・

 たとえば老人が爪に火をともすようにして貯めたお金を,甘言でもって騙し取ろうとする詐欺行為は,卑劣でやりきれないものがありますが,作中でのメッキーのセリフ,
「いんちきなものを売りつけていんちきに稼ごうとしてるやつらからいんちきに金を巻き上げてどこが悪いよ?」
にあるように,「いんちきな金」を騙し取ろうとする詐欺は,どこか爽快感があるものです。それは,誰もが,世の中のお金の流れ方が,経済学者が言うほど平等でもフェアでもないことを知っているからでしょう(もっとも,その「いんちき金」に日本中が踊らされたのが「バブル経済」といえなくもありませんが)。また騙し取る金額が大きければ大きいほど,そして「騙し方」が大がかりであればあるほど,そこには痛快感も加わります。そういった意味で「コン・ゲーム」を題材としたミステリには,他のミステリとはつねにちょっと異なるテイストがあるように思います。

 主人公“おれ”やエル・ドゥロは,この作者の作品におなじみの「デラシネ的日本人」です。また彼らの周囲に集まる,黒人のストリート・キッズメッキー,イヌイートの血を引くキャンデスと,スー族を母親に持つジョニファの女子プロレスラのコンビなども,この作者が好んで取り上げる,アメリカ社会のマイノリティです(アメリカでのプロレスラの社会的地位は,日本に比べるとはるかに低く,ましてや女子プロレスは,さらにその「前座」的な存在だそうです)。つまり,この作品もまた,マイノリティやアウトサイダの戦いを描いている点で,この作者がこれまで描いてきた作品世界に共通するものがあります。
 ただし,メイン・キャラクタ(ある意味,真の主人公)であるエル・ドゥロが,徹底的なまでに暴力が嫌いという性格設定がなされていることや,上に書いたような「コン・ゲーム」という作品の性格,そしてなにより出てくるキャラクタが,いずれも陽性でヴァラエティに富んでいることなどから,この作者の作品にしばしば見られる悲壮感や虚無感とはほど遠く,躍動感あふれる小気味よい冒険小説に仕上がっています。おんぼろのリンカーン・コンチネンタルに乗って,アメリカ大陸を放浪するところも,なにか浮き世離れしていて愉快です。
 そう,浮き世離れした雰囲気が全編を覆うこの作品は,一種のファタンジィと呼べるかもしれません。リアルな手法で描かれたファンタジィと。

 この作者の作品はけっこう好きで,何作か読んできましたが,本書を読んで,この作者の「別の顔」を見たように思いました。
 ちなみに本書は,「このミス'97」の第15位にランキングされています。

98/05/09読了

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