東郷隆『鎌倉ふしぎ物語』集英社文庫 2000年

 「妙な土地だね。嫌らしい観光地の顔と,まったく無垢な上品さが同居しているんだ」(本書「小物細工の家」より)

 鎌倉を舞台とした連作短編集です。

 たしか,マンガ家のささやななえこの言葉だったかと思いますが,「怖さをともなわない怪異は「ふしぎ」と呼ばれる」といった主旨のものがあったように記憶しています(坂田靖子だったろうか?)。人は,一生のうち,一度や二度,そんな「ふしぎ」に遭遇する経験があるのかもしれません。けっして,あからさまな怪異といった類のものではなく,あとから考えると「あれ? 変だな?」「おや? おかしいな?」と思い起こされるような,そんな「ふしぎ」としか呼びようのない経験です。本短編集に収められた諸編では,まさにタイトル通り,そんな「ふしぎ」が語られます。
 そう,本書の特色のひとつは,各短編がいずれも「語り」で描かれている点にあります。たとえば「屋台の客」は,屋台のおばちゃんが,客のひとりに対して,自分の奇妙な体験を語ります。あるいはまた「蓮ちゃんの神さま」は,中国から来日した留学生が,アルバイト先(?)のスナックで,やはりお客さんに,「神さま」の話をします。はたまた「オアシスの声」の語り手は,自動販売機のコレクタ(?),「スコーネの鰻」では,幼なじみに,自分の奥さんとの馴れ初めを語る漁師といった具合です。その語り口も,けっして「さあ,奇妙な話をするぞ」といった気負ったものではなく,話している途中にあちこち脱線するといった,いかにも「日常会話」風の口振りです。おそらく鎌倉の「地言葉」なのでしょう,テンポよい語り口は心地よいものがあります。
 それともうひとつ,各編では,さまざまなペダントリィが散りばめられています。「小物細工の家」では,江戸以来の伝統を受け継ぐ職人芸が語られ,「オアシスの声」では,自動販売機の歴史(これはなかなか興味深かったです)といったところです。そういったトリヴィアルとも言えるようなペダントリィが積み重ねられた末に,ラストで「ひょい」と「ふしぎ」が顔を出します。そのペダントリィと「ふしぎ」との結びつきが絶妙なのが「オアシスの声」です。語り手は,自販機の歴史や内実を,自分の経験を織り交ぜながら語っていきます。読んでいくうちに,日頃見慣れているはずの,しかしそれでいてほとんど知ることのない自動販売機が,しだいしだいに「生命力」を持っているかのような錯覚をおぼえ始め,その上で作者は,するりと自販機をめぐる「ふしぎ」を提出します。ですから,明らかに「おかしなこと」のはずなのに,「そんなことがあるかも?」みたいな考えも,心のどこかに残っているように感じられます。
 そのほか「面かぶり」「木箱」「蜜柑」では,戦時下の鎌倉での日常生活が繰り返し描かれています。これもまた,ペダントリィというのとはちょっと違うものの,「戦時下」と「日常」という奇妙なミックスが,ラストの「ふしぎ」を導き出すのに効果的に用いられています。とくに「木箱」は,1945年8月15日,まさに日本が敗戦を迎える日の「あったかもしれない一日」を鮮やかに切り取って見せています。略歴を見ると,作者は戦後生まれ。もしかすると,これら各編での,姿を見せない「聞き手」とは作者自身なのかもしれません。作者が,鎌倉の老人たちから集めた話を,こね合わせ,混ぜ合わせて,「ふしぎ」を生み出したのかもしれません。

 それぞれの「ふしぎ」は,けっして「鬼面,人を驚かす」といった類のものではありません。ちょうど「日常」という道路を自動車で走りながら,なにかのきっかけで「センターライン」をほんのわずかオーヴァしたような,そんな日常のすぐ脇にある「ふしぎ」を描いています。

01/06/22読了

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