北村想『怪人二十面相・伝』ハヤカワ文庫 1995年

 頃は昭和の初め,孤児となった平吉は,遠藤曲馬団に身を寄せることになる。そこで知り合った武井丈吉,彼は天才的なサーカスの才能を持ちつつ,世間を「あっ」と言わせたいと団を飛び出す。しばらくして,東京の人々の間では,ひとりの不思議な泥棒の名前が囁かれるようになった。その名は「怪人二十面相」・・・。

 ご多分に漏れず,わたしも小学生の頃,学校の図書館に入っていた江戸川乱歩の『少年探偵団シリーズ』を夢中で読んでいました。少々(?)ひねた子供であったわたしにとって,小林少年の“いい子”ぶりは,鼻について嫌いでしたが,颯爽とした明智小五郎の姿は,子供の目に強い印象を与えました。しかし,明智小五郎があれほどの「名探偵」であり得たのは,いうまでもなく「怪人二十面相」という,「名犯人」とでもいうべきライバルがいたからなのでしょう。芝居がかったケレン味たっぷりで,これでもかというくらい派手派手しく,そのくせけっして殺生はしない,そんな二十面相の活躍は,まさに「怪人」という言葉のもつ暗い魅力をぞんぶんに発揮していたのではないかと思います。もっともシリーズ後半になると,さすがに息切れしてきて,子ども心にもネタ割れすることが多くなりましたが(笑)。

 さて本編は,怪人二十面相の伝記,という体裁の物語です。本編の二十面相はサーカス出身という設定になっていますが,この設定は,二十面相が引き起こす犯罪の性格を,じつによく表しているように思えます(もっとも作者あとがきによると,二十面相のプロフィールは『サーカスの怪人』に数行触れられているそうで,もしかすると二十面相とサーカスとの関係は,乱歩によってあらかじめ設定されているのかもしれませんが)。丈吉が平吉に,綱渡りのコツを教えるシーンで,「綱渡り芸人が雪駄を履いて綱渡りをするのは,本人にとっては難しいことかもしれないが,客にとってはそんなことはわからない。番傘のひとつも持った方がましだ」というようなセリフを語っています。つねに観客を意識し,同じ技をいかに受けるように見せるか,ということを考えたパフォーマンスとしての犯罪,エンターティメントとして泥棒。これこそが二十面相の本質を言い表したセリフではないかと思います。

 一方,“正義の味方”である明智の立場は,もっと複雑です。正義が虚妄だといいながら,その虚妄の正義を虚妄ゆえに味方にし,そしてその“虚妄”を守るために,国家権力を利用することさえも辞さない。二十面相が限りなくフィクショナルな“悪”であるのに対し,明智はあくまでリアリスティックな“正義”として描かれています。探偵が守るべき“社会的正義”なるものを突き詰めると,けっきょく多数の論理,強者の論理に行き着いてしまう危険性を浮き彫りにしているように思えます。あるいは現代において“正義”を名のるものこそが,一番胡散臭いという逆説(?)をカリカチュアしているのかもしれません。

 全体としておもしろく読めたのですが,最終章が,どうも付け足しのような気がしないでもありません。戦前戦後を通じて,超人のごとく活躍した明智探偵と二十面相を,無理なくつなげるための方策なのかもしれませんが。やっぱり「伝記」という体裁上,しかたないのかもしれません。

97/05/29読了

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