横山秀夫『陰の季節』文春文庫 2001年

 「――罪な商売だ」(本書「陰の季節」より)

 D県警を舞台とした警察ミステリの連作短編集。4編を収録しています。このうち表題作は,「第5回松本清張賞」を受賞しています。

 「警察ミステリ」といえば,昨今では科学捜査研究所とか,心理分析官とかが主人公になる作品も目につくとはいえ,やはり圧倒的多数は刑事が主人公です。エリートであろうが,はみだし者であろうが,悪徳であろうが,あぶなかろうが,踊ろうが(笑),要するに捜査の最前線において活躍する捜査員たちがメインとなる「警察ミステリ=刑事ミステリ」です。
 しかし本作品中各編の主人公たちは刑事ではありません。たとえば表題作「陰の季節」の主人公は警務課の人事担当であり,「地の声」は監察課監察官−「警察の中の警察」−,「黒い線」は警務課婦警担当係長,「鞄」にいたっては,「議会対策」担当の秘書課の課長補佐といった具合です。つまり彼らは「前線」ではなく,「管理運営部門」に属している点で,これまでの警察ミステリとは大きく毛色が異なっています。
 警察もまた組織,それも巨大組織である以上,犯罪捜査という「前線」だけで構成されているはずもなく,組織を維持・運営していく「管理運営部門」が必要不可欠であることは言うまでもありません。そして,組織の命運を握っているのは「前線」ではなく,むしろ「管理運営部門」なのです。そんな警察組織の中枢を舞台として,巨大組織の中で生きる彼らの野心,欲望,矛盾,挫折,悲哀を描きながら,組織が宿命的に持つ矛盾と腐敗,冷酷さを描き出しているこの作品は,刑事はほとんど登場しませんが,まごうことなき「警察小説」であるわけです。

 しかし主人公が刑事ではないとはいえ,この作品は「ミステリ」でもあります。「陰の季節」では,人事担当の二渡真治は,約束では3年で退くことになっていたはずの天下り先ポストを,突如辞めないと言い出した警察官OBの真意を探ります。欲にかられたことなのか? それともプライドによるものなのか? 二渡の「捜査」の末に,意外な真相が明らかにされる展開は,すぐれてミステリ的と言えましょう。
 同様に「地の声」は,万年警部の醜聞を告発する手紙を受け取った監察官新堂隆義が,その密告の真偽を探りながら,さらに密告した人間を追いかけます。管理能力に疑問をつけられながらも,職務熱心で実直な警部は,なぜ密告されたのか?という謎がストーリィをぐいぐいと引っぱり,さらに二転三転するラストが楽しめます(もっとも展開は楽しめても,その結末に浮かび上がってくる真相はじつに苦いものではありますが)。
 また「黒い線」は,前日に,描いた似顔絵からひったくり犯をスピード逮捕したとして「お手柄婦警」と称揚された婦警が失踪するという事件が描かれます。ひったくり犯が暴走族であったことから復讐されたのか? 失踪の背後には男が絡むのか? いくつもの謎が輻輳しつつ,さらに警察組織内部における婦警の立場の弱さを絡めながら,スピーディにストーリィを展開させていきます。同時に,主人公七尾友子警部の力強さと,ときとしてくじけそうになる弱さ,そしてしたたかさを描き出すことで,彼女の等身大の人間としての魅力を上手に浮かび上がらせています。
 本巻ラストの「鞄」は,大物保守派県議から「議会で警察に対して爆弾質問をする」と告げられた秘書課の柘植正樹が,さまざまな手段を使って「爆弾質問」の内容を探り出そうとするというストーリィ。警察と県議会の関係に着目した点は,きわめてユニークなものでしょう。県議の言動はブラフなのか? それとも本当に「爆弾」なのか? 疑心暗鬼にかられながら奔走する主人公の姿を描きながら,ラストで意外なツイストを仕掛けているところがじつにいいですね。警察小説であり,ミステリであり,さらにある種のクライム・ノベルである本編,本集中,一番楽しめました。

01/11/27読了

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