逢坂剛『カディスの赤い星』上・下 講談社 1989年

 日野楽器の招聘で来日したスペインのギター製作家ラモスとその孫娘フローラ。フリーのPRマン・漆田は,ラモスから20年前に出会った日本人ギタリスト“サントス”を探してくれと依頼される。少ない手がかりで“サントス”を探す彼の周囲に出没する不穏な人物たち。謎めいた消費者団体の代表,極左の過激派,そしてスペインの秘密警察・・・。“サントス”を,そして彼が持つギター“カディスの赤い星”を追って,漆田は,フランコ独裁末期のスペインへ飛ぶ。そこで彼を待ち受けていたものは・・・。

 “サントス”を追い求めてのマンチェイス。その過程で出てくる一癖もふた癖もある人物たち。そして錯綜する人間関係。ダークサイドに潜む暴力。物語の前半では,手がかりを求めて,主人公は謎の迷宮へと入り込んでいきます。そのあたり,適度のアクションとロマンチックなシーンを交えながら,緊張感を持って描いていくところは,この作者の得意とするところでしょう。またスペインに舞台を移してからは,極左・極右入り乱れての,主人公に襲いかかる危機,そしてそ危機からの紙一重の脱出と,ハイテンポに進むストーリーは,クライマックスのテロ防止のタイムリミットとあわせて,緊迫感ある展開です。だからそういった点では,前半の静,後半の動,といった感じが鮮やかで,一気に,そして楽しく読めました。

 ただ不満もあります。最後は,スペインを脱出して帰国,“サントス”“カディスの赤い星”を巡る謎解きになるわけです。たしかに“サントス”の正体は意外ではありましたが,ちょっと唐突な感じがしないでもありません。もう少し伏線なり,前振りがほしかった。また,最後のどんでん返しも,あまりに出来過ぎというか,都合よすぎるというか・・・。こういった結末は,逢坂作品にしばしば見られるパターンだな,という印象が強いです。

 それと漆田と理沙代の愛の行方。なんでこんな結末にしたんでしょうか? どうもこの作者,悲劇性でもって物語を盛り上げようとするあまり,非情なまでに登場人物に対して過酷ですね。たしかに主人公を見舞う悲劇というのは,物語を活性化し,物語を動かしていくパワーのようなものを持っていると思います(その端的なものが「復讐劇」なのでしょう)。とってつけたようなハッピーエンドも願い下げですが,しかし悲劇性だけが物語を盛り上げる手法ではないとは思うのですが・・・。プロローグに出てくる「専務」がてっきり,と思ったのですが。後味はあまりよくないですね。

97/06/02読了

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