坂東眞砂子『神祭(じんさい)』角川文庫 2003年

 「他人は,当事者にとって,一番残酷なことを覚えているものだから」(本書「隠れ山」より)

 四国の小さな田舎町喜才野村を舞台とした連作(?)短編5編を収録しています。

「神祭(じんさい)」
 40年以上前の「神祭」で,由喜が見た奇妙なこととは…
 登場する怪異の造形は,けっこうグロテスクなものですが,だからといって不快感を感じないのは,その怪異に,主人公−男児を産まないことで肩身の狭い思いをしている由喜の哀しさと,それから解放された嬉しさが託されているからでしょう。鶏の足を幸運のお守りとするヨーロッパの古俗を思い浮かべました。
「火鳥(ひとり)」
 みきの家が焼けたのは,“ミズヨロロ”を獲って食べたからだという…
 結局,“ミズヨロロ”という化鳥とは,なんだったのか? しかしそれが漂わせる,ある種の“胡散臭さ”は,主人公の少年が知り始めた“性”と,どこか相響きあうものがあるのかもしれません。
「隠れ山」
 平凡で親孝行の男が,突如,姿を消した…
 「山中異界」という言葉を聞いたことがあります。“里”に住む人々にとって,“山”とは,人ならざる魑魅魍魎の類が棲む異界であったのでしょう。そんな“山”の中に姿を消した男が,それまでの性格とは一変して,人々の小さな秘密を,悪意を込めてことさらに誇張して口にするようになったというのは,“山”の異界性に触れたからなのかもしれません。
「紙の町」
 和紙づくりの盛んな町に住むヒサ。彼女は町の“夜の顔”を知っていた…
 人に「表の顔」と「裏の顔」があるように,“町”もまた同じようなものを持つのかもしれません。そしてその「裏の顔」をより凝縮した形で感じ取るのは,本編の主人公のような社会的弱者なのでしょう。それを告発調ではなく,淡々と描き出すことで,「裏の顔」の根深さを巧みに浮き彫りにしています。
「祭りの記憶」
 敗戦から10年,外国人観光客が刺殺されたのは…
 「水に流す」という,ある種の「生活の知恵」は,わたしたちの感覚の奥底に根付いているのかもしれません。しかしそれは,都合の悪いものは,どこか「見えないところ」へと流し去ってしまうという「お手軽さ」があることも否定できません。「ひやり」とするような肌寒さを感じさせる作品です。ふと諸星大二郎の伝奇短編を連想しました。

03/07/14読了

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