井上雅彦監修『時間怪談 異形コレクションX』廣済堂文庫 1999年

 さて「異形コレクション」もいよいよ大台,10冊目です。監修者が(シリーズではじめての)「あとがき」で述懐していますように,よくぞここまで続いたものです(って,まだ終結したわけではありませんが(^^ゞ)。「アンソロジィ」という体裁の好きなわたしにとっては,これからもまだまだ頑張っていただきたいところです。
 で,今回は「時間テーマの幻想怪奇」「時間テーマの怪談」です。時間を超えて蘇るおぞましい過去の記憶(それは個人レベルを超える場合―たとえば民族の記憶,土地の記憶―もあります),不吉な予言が囁く不安な未来,傷ついたレコードが何度も同じフレーズを奏でるがごとく繰り返される“現在”・・・読む前にはピンと来なかったのですが,改めて考えてみると,「異形の時間」というモチーフは,SFはもちろん,ホラーやファンタジィ作品にとっても,じつに馴染み深いものであることに気づかされます。また監修者が冒頭に挙げている,いまだ編まれざる『時間怪談傑作選』のライン・アップを見ると,個人的に気に入っている作品が複数含まれており,自分のホラーに対する嗜好の中で,監修者の言う「時間怪談」が大きなウェイトを占めていたことにも気づきました。
 「命名」という行為は,連続的な「世界」を分節化し,不定形であやふやだったものを定着させる機能がありますが,今回,監修者が「時間怪談」という耳慣れない言葉を用いたのは,確実に存在はしていたけれど曖昧だったひとつの領域に輪郭を与える試みと言えるかもしれません。
 気に入った作品についてコメントします。

恩田陸「春よ,こい」
 初春,いま高校の卒業式を終えたばかりふたりの少女は,早咲きの桜の木の下で…
 弱いんですよねぇ,こういう作品には。いや,「弱い」というのは「苦手」という意味ではなく,もう参ってしまうんです。やはりこの作者の,少年少女の「一瞬」を幻想的な手法で切り取ってみせる手技には恐れ入ってしまいます。
倉阪鬼一郎「墓碑銘」
 修業に来ている“僕”は,一冊の本を手渡され…
 主人公が読む本,本の中で描かれる奇譚,その奇譚の主人公が手にする手記…入れ子構造はこの作者お得意とするところでしょう。この主人公(“僕”)が目標とするものはいったい何なのか? そしてラストで示される光景が持つ意味は? そんなことを想像すると,なにやら得体の知れぬ不安が忍び寄ってきます。
早見裕司「後生車」
 1999年正月,“私”に届いた奇妙な年賀状。差出人はすでに死んでおり…
 この作品で描かれる「恐怖」が「対岸の火事」ではないことを,わたしたちは,「あの事件」を通じて知ってしまっています。しかし「やりきれなさ」とともに,どうしようもなく「せつなさ」を感じてしまうのは,この作品で描かれる「時代」と同じ時代を呼吸していたからなのかもしれません。
北原尚彦「血脈」
 異常殺人者の血を引く“私”が時を超えて出会ったものは…
 時間ネタでありがちな,オーソドックスなオチかと思っていたのですが,それをもうひとひねりしてあるところが楽しめました。世紀末ロンドン,異常殺人者,ということで,てっきり有名な「あの人物」かとも思ったのですが・・・
朝松健「『俊寛』抄―世阿弥という名の獄―」
 三代将軍足利義満と天皇を前にして能を舞う世阿弥。弟子の不二夜叉はその舞の中に「神」を見る…
 「芸」とはいわば「非日常的」な行為であり,世界です。それゆえに,そこには「神」も宿れば,また逆に「魔」も宿るのでしょう。その「神」「魔」を目の当たりにしてしまった男の悲劇とでもいえましょうか。「時間怪談」にすることで,その悲劇はより一層深く,不気味なものになっているようです。
村田基「ベンチ」
 健康のためウォーキングをする70歳の“わたし”は,公園でいつも同じベンチに座っている老婆を見かけ…
 同じ「ネタ」でも作家によって調理方法は違いますし,同じ「調理方法」でも盛りつけ方はやはり違います。十分に予想される結末ながら,その巧みな描き方には脱帽です。
五代ゆう「雨の聲」
 「お上がんなさいましな,貴男」雨中でずぶ濡れになった男に女が語りかける…
 女の語りだけから構成された一編。江戸風の仇っぽい言い回し,語り口が,独特の雰囲気を醸し出しています。終盤,女の一言が世界をするりと反転させるところが鮮やかであるとともに,映像的なラスト・シーンが印象的です。
牧野修「おもひで女」
 遠い記憶中に現れる不気味な女。彼女の正体は…
 一見,オーソドックスな「記憶もの」風でありながら,そのじつ,なんとも奇想たっぷりの作品です。う〜ん…こういったモンスタを思いつくところが凄い!
安土萌「塔の中」
 “わたし”は博物館の塔を登る。はるか昔に閉じこめた妹に会うために…
 先日,博物館に設置されたヴィデオに奇妙な影が映ったという報道がありましたが,過去の遺物,古文書,絵画,ときとして人そのもの―ミイラ!―を並べる博物館というのは,たしかに「時間」が閉じこめられた場所なのかもしれません。ですから,理由も原因もいっさい不明ながら,このエンディングは,どこか「あってもおかしくない」と思わせるところがあります。

98/04/28読了

go back to "Novel's Room"