隆慶一郎『一夢庵風流記』新潮文庫 1991年

 「生きるまでいきたらば,死ぬるでもあろうかとおもふ」(本書より)

 豊臣秀吉の天下統一で,長きに渡る戦乱の世が終わろうとしている頃,京の都に「かぶき者」として知られる,ひとりの男がいた。彼の名は前田慶次郎。「いくさ人」にして「風流人」,いかなる権力,権威にも媚びず,みずからの道をかろやかに,したたかに,そしてなにより華々しく歩いていく男・・・

 「自由」という言葉が,近代以降,「Freedom」の訳語として定着する以前,それは「無縁」と密接に結びついていたと聞いたことがあります。血縁・地縁に取り囲まれた生活は,たしかに窮屈な側面はあったとしても,相互扶助や保護といった恩恵を受けることができます。「法律」もまた「縁」のひとつといえるでしょう。そんな「縁」を飛び出し,「自由」に生きることは,気ままであっても,自分ひとりで世の中を渡っていかねばならない,なんら扶助も保護も得られない厳しいものでもあるわけです。一方,「歌舞伎」の語源となった「かぶき者」というと,これまで派手な衣裳や奇矯な行動をする人物という知識は持っていましたが,それが単なるファッションではなく,「無縁」というリスクを背負った「自由」な「生き様」であることを,本書を通じて知りました。

 とにかく,じつに巧いです。「息をもつかせぬ展開」とは,まさにこのような作品を言うのでしょう。作者は,つぎからつぎへと山場をストーリィに盛り込んでいきます。それもけっして一本調子ではありません。あるときは,戦場へと勇猛果敢に乗り込んでいく慶次郎,あるときは,人間技とは思えぬ奇想天外な忍群との暗闘,またあるときは,慶次郎を倒して名をあげようとする「かぶき者」との一騎打ち,はたまたあるときは,天下人秀吉との行き詰まる駆け引き,などなど,手を変え品を変え,「動」と「静」とを巧みに配しながら,ぐいぐいとストーリィを引っぱっていきます。
 個人的にとくに好きなのは,秀吉の前で,周囲の大大名たちが心底震え上がる中,「猿踊り」を演じるシーンです。一時は,秀吉が,「殺すか」と思うほどの恐怖を感じながらも,同じ「かぶき者」として,慶次郎に「見事にかぶいたものよ」というセリフを吐くシーンです。けっして派手ではありませんが,「かぶき者」同士の,こうぎりぎりと真綿で首を絞めるような緊迫感ある駆け引きの場面です。そして作者はまた,このシーンで,前田慶次郎という,稀代の「かぶき者」というキャラクタを鮮烈なまでに浮かび上がらせています。「かぶき者」としての慶次郎が,単なる乱暴者,奇矯人ではない,権力,権威に相対しても,けして自分のスタンスを変えない人物であることを,読者に印象づけることに成功しています。
 さらに,この慶次郎という,自由奔放な主人公の周囲に,個性豊かな多彩なキャラクタ群を配することで,上に書いたような山場山場を,より躍動感のあるものにしています。たとえば,慶次郎を狙う加賀忍群からの抜け忍・捨松,一匹狼の凄腕の殺し屋『骨』,朝鮮で知り合った伽耶国の姫伽子,莫逆の友奥村助右衛門直江兼続前田利家の妻まつなどなど・・・いずれもそれぞれにユニークなキャラクタであるのですが,さらに強烈な個性である慶次郎との関わり合いの中で,より一層輝きを増しているように思われます。

 前田慶次郎という強大な「磁場」を中心として,多種多彩な「山場」とキャラクタを織り交ぜながら,緩急自在にストーリィを紡ぎだしていく手腕は,「これまで読まずにいて損した!」と思わせるものがあります。さておつぎは,やはり世評高い『影武者徳川家康』でしょう。

00/10/28読了

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