田中光二『異星の人』角川文庫 1978年

 「誰かが生きていくためには,誰かが死なねばならない。この世界は,そういう単純な数字で成り立っているのですね」(本書「汝が魂を翼にゆだねよ」より)

 ジョン・エナリー・・・それが,この惑星での“彼”の名前だ。“彼”は地球上のあらゆる場所に出現する。戦乱の地,平和な南島,極寒の山岳地帯,山間の小さな村・・・そして“彼”は観察し,記録する・・・この惑星に住む人類たちを・・・惑星の行く末を・・・

 HIROさん@Open The J.Garageからのご紹介作品。この作者の作品を読むのは,『エデンの戦士』以来,20年ぶりくらいです。

 さて本編は,タイトルにありますように異星の人であるジョン・エナリーを主人公とした連作短編集です。彼は,宇宙の「何者か」の指令を受け,人類の中に入り交じって,人類を観察し,記録し,「何者か」にそれを伝えています。人類の長所短所,善良な面と邪悪な面,崇高な「顔」と卑しい「顔」を観察し続けます。また彼はさまざまな場所・状況に現れます。「ドラゴン・トレイル」では,戦乱のアフリカの小国,「白き神々の座にて」ではヒマラヤの山岳地帯,「大いなる珊瑚礁の果てに」では南太平洋の孤島,といった具合です。
 一方,各短編の語り手はそれぞれ違いますが,いずれも「私(あたし)」という一人称で語られます。ジョン・エナリーに遭遇するいろいろな人物が語り手となっています。たとえば「怒りの谷」では,妻子を惨殺された老インディアン,「許されざる者」ではUFO研究家,「わが谷は緑なりしか」では,南米に隠れ住む元ナチス親衛隊員などなどです。ジョン・エナリーが,限りなく「客観的」であるのに対し,語り手をきわめて「主観的」に設定することで,両者のコントラストをより鮮明にした手法と言えましょう。
 このような各種のキャラクタとシチュエーションを重ね合わせることで,作者は,人間の持つさまざまな属性を浮かび上がらせていきます。「ドラゴン・トレイル」では,戦争に現れた人間の残虐性でしょうし,また話の発端となっている「謎の巨大生物」の末路は,人間の飽くなき貪欲さを象徴しているように思います。また「怒りの谷」の老インディアンの姿に見られるのは,家族に対する愛情の深さとその裏返しの復讐心,そしてぎりぎりのラインで人間としての尊厳を守った彼の誇り高き精神でしょう。「大いなる珊瑚礁の果てに」は,愛情と憎悪とのせめぎ合いの果てに,ジョン・エナリーの乗るボートに仕掛けられた爆弾のスイッチを押す女性主人公を描いています。「激情」もまた,人間の避けられない性質のひとつなのです。 さらに「大いなる珊瑚礁」「許されざる者」「わが谷は緑なりしか」で展開する,ジョン・エナリーを追う国家的組織のエピソードは,人間の心は,疑心暗鬼に取り憑かれやすく,「公平」とはほど遠いものであることを示しているのかもしれません。

 そしてジョン・エナリーの「旅」は「汝が魂を翼にゆだねよ」で,いったん幕を閉じます。「客観的」であらねばならない彼は,ある「不条理な感情」にとらわれ,「観察者」としての立場を放棄します。それは,悲しい結末であるとはいえ,人類に対する「希望」を語っているように思います。そのことは,ラスト・エピソードと思える「汝が・・・」のあとに「世界樹の高みに」が挿入されていることにも現れているのではないでしょうか。このエピソードは,「ジョン・エナリーは死んでいない」ということを暗示しているようにも思えるとともに,人類は,これからもジョン・エナリーという優しい「異星の人」に見守られていること,混沌とし矛盾しながらも,人類の「ポテンシャル」を信じている「異星の人」がいるということをも,表しているように思います。

01/09/18読了

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